テリー伊藤氏

「今日のボタンダウンクラブ旗揚げパーティーの司会進行役のテリー伊藤です。今日は僕ものすごく興奮してます。こんな錚々たるゲストの皆さんが集まってくれたんですよ。もう何から始めたらいいか、ちょっと困ってます。石津先生もうすぐ到着されると思いますが、今日のこの集まりのテーマは「石津謙介流遊びの達人になろう」ということなので、まずゲストの皆さんから石津先生との楽しい交流についてとか、アイビー全盛の頃の面白いエピソードなど語っていただきましょう。ミッキーさんからどうですか?」
ミッキー・カーチス氏

「いやぁ、あの頃はいい時代だったね。僕は毎日VANに行ってたの。地下の倉庫でね、石津社長が好きなものどれでも持って行っていいよ、なんて云うものだから、ダンボールに何個持ってったかなぁ。そんなことするからVANつぶれちゃったんじゃないかな(満場爆笑)。あそこにいるくろすさんに無理云ってヴァンガーズって名前のバンド作って、いろいろサポートしてもらったんですよ。」
くろすとしゆき氏

「そう、もうミッキーは我がままいい放題でね。楽器を保管する倉庫は作れだの、それを運ぶ車は買えだの、無茶ばかり云うんだよ。でも当時は金があったのかね、そんな我がまま聞きながら全国回ったもんだよ。」
浅井慎平氏

「僕はVANの広告写真を撮らせてもらってたんですが、ある時ロスヘポスターの写真撮りに行ってたら、ロスが記録的な大雨でね。何とか撮影終えて日本に帰ってきたら、VANが無くなってたの。あれは涙雨だったんだなぁって思ったんですよ。(笑) だから今日はこうして皆さんに会えて、同窓会って雰囲気ですね。だってVANは僕達にとって学校だったもの。」
石川次郎氏

「僕が初めてアイビーに接したのは1958年だったと思うんですが、VANのボタンダウンシャツを見て、衿にボタンが着いていたり、ズボンのうしろに尾錠が着いてたりしたのに、ずい分驚いたもんです。それ以後雑誌「平凡パンチ」や「ポパイ」なんかでVANにはすっかりお世話になったんで、1978年にVANが倒産したときに、あまりに思い入れがあったんで、ポパイでVANの特集やろうということにしたんです。隣にいる僕のボス、木滑さんを説得してね。」
木滑良久氏

「次郎からVAN特集やろうよって提案された時、最初はちょっと躊躇したんですよ。だって倒産したばかりの会社に失礼だろうって思ってね。でも思い直してヨシッ「VANが先生だった」って云えば失礼には当たらないだろうってことで、その言葉をタイトルにして出したんです。よく売れましてね。穂積さんに表紙のイラスト描いてもらって。そのバックナンバーは今では相当な価値が出てますよ。」
テリー伊藤氏

「アッ、皆さん、石津先生が到着されたようです。さぁみんなでお迎えしましょう。先生どうぞ!
石津謙介氏

「やぁ、今晩は。いやぁ、懐かしい顔が揃ってるねぇ。ふんふん。
テリーさん、どうも有難う。僕はもう寄る年波で殆ど何もかも忘れてしまったけど、こうして皆さんの顔を見てると、いろんな事を思い出すねぇ。それにしても、ずい分大勢集まってくれたもんだねぇ。」
渡辺貞夫氏

[石津先生、今晩は。お久し振りです。僕と先生のお付き合いが始まったのは確か19667年頃だったとおもうんですが、VAN提供のテレビ番組で「VANミュージック・ブレーク」というのをレギュラーでやらせてもらってまして、その中で
石津先生とよくトークなんかしてましたねぇ。今日はこうしてお元気な先生にお会いできた記念に、皆さんを代表して先生に愛の歌をプレセントしたいと思います。僕がミュージック・ブレークのために作ったテーマ曲もやろうかな。」(大拍手)