あれは1973年だったから今から28年も前のことになるんだなぁ。青山通りのVANのビルの1階にVAN99ホールという小劇場を僕がオープンさせて、その入口に立ち飲みのカフェ、それも当時の日本では殆ど飲めなかった本格的なエスプレッソを飲ませようと思い立ったんだよ。ところがその時代にはエスプレッソ・マシンも簡単には手に入らなかったし、それをどうやって使うのか誰も知らないという状況だったのでもう大変。いろんな苦労があったけど、細かなことはもう忘れてしまったので、そのエスプレッソ・カフェで頑張ってくれた松倉君を呼んで、昔話に花を咲かせようと思うんだ。果たしてどんなことになるやら。

石津: やぁ松倉君、お久し振り。今日わざわざ来てもらったのはほら、昔君にやってもらってたエスプレッソ・カフェのことを思い出してもらって、僕の記憶の薄れたところを補ってもらいたいんだよ。
松倉: 先生、本当にご無沙汰してます。いやぁお役に立てればいいんですけどね。何しろ28年も前の話なので、一寸自信ないんですけど。
石津: お互い年とるわけだ。28年も経ったかねぇ。ところで早速だけど、あのエスプレッソ・カフェを何故君にやってもらうことになったんだっけ?

松倉: いやですね先生。そんなことまで忘れて。あれは当時僕がVAN本社の社員食堂をやらせてもらってた関係で、水商売ならお前しかいないっていうんで、僕に白羽の矢が立ったというわけですよ。
石津: あぁ、そうだったね。最初はあぁでもない、こうでもないと、君もいろいろ苦労したよね。
松倉: はい、もう試行錯誤の連続でした。それにしても先生、何故あそこでエスプレッソをやろうと思いついたんでしたっけ?
石津: それはね、当時僕のところ(VAN)でイタリーの「コルシーニ」というメンズ・スーツをライセンスでやっていたんだけど、社長のシルバーノ・コルシーニと僕とは大の仲良しで、僕がイタリーに行った時はいつも彼がそばについていてくれて、フィレンツェやミラノの街を歩いている時なんかに彼がしょっちゅうバールと呼ばれる立ち飲みのコーヒー・スタンドに寄っては、エスプレッソを引っかけてたんだよ。僕もそのうちにこのエスプレッソを一杯引っかけるのが癖になって、あちこちで盛んに飲んだものさ。それで、当時そろそろファッションの街として注目され始めた青山の中心に僕が99ホールという小劇場をオープンした時、その入口でこのエスプレッソの立ち飲みをやろうと思い立ったわけさ。
松倉: そうだったんですか。それでオープン前にコルシーニさんがしょっちゅう来ていろいろと教えてくださったんですね。今日は懐かしい写真を持って来たんですよ。ほら、カウンターの中で神妙に聞いているのが私で、真ん中でカウンターに肘ついてるのが先生で、左端がコルシーニさんでしょう? コルシーニさん、厳しかったな。何度も駄目をだされましたよ。この写真でコルシーニさんの脇にあるのがガッジアというイタリー製の業務用のエスプレッソ・マシで、これを手に入れるのも当時では大変だったのを憶えてますよ。今はいろんな種類のマシンが簡単に手に入りますけど。
石津: そうだったなぁ。コルシーニも熱心だったね。何しろ当時の日本でエスプレッソマシンをまともに使える奴なんていなかったもんな。
松倉: ええ、それで私はいくつか情報を手に入れて、3〜4ケ所見て回りましたよ。玉川高島屋の中にイタリー人のおじさんがエスプレッソをやってると聞いて、すぐに飛んでいっていろいろ教わったんですが、どうもピンときませんでした。それから京都にチキリヤという店があって、ここでもエスプレッソを出していると聞いて、足をのばした憶えもあります。赤坂にもカプチーノというカフェがありましたね。益子さんという人がやってて、親切に教えて下さったんですが、結局コルシーニさんが現場で教えてくださったことが一番役に立ちました。
石津: へぇ、そうか。ということはコルシーニは日本にエスプレッソを根付かせた功労者ということになるね。だってそうだろ?その当時、さっきも君が云ってたように日本にはそれこそ知る人ぞ知るといった程度の店でしかエスプレッソは飲めなかったわけで、青山のど真ん中でイタリー式に立ち飲みでエスプレッソを飲ませるってんで、ずい分評判になったもんな。あれからだんだんと立ち飲みのカフェが一般化していったような気がするんだ。いろんな人が来てくれたねぇ。君憶えてるかい?
松倉: えぇ、あの立ち飲みというスタイルも当時の青山に出入りする人たちに受けたんでしょうね。それとなんといってもユニークだったのは、エスプレッソ一杯が99円という安さだったことでしょう。石津先生が99ホールの名前にこだわってどうしても99円でやるって云われた時はどうしようかと思いましたよ。どう計算しても99円では合いませんからね、いくら28年前といっても。
石津: そうだったね。勿論いくら計算に疎い僕でも99円じゃ合わないぐらいは分かっていたけど、ホールの入場料が99円なんだから、カフェの方もどうしても99円にしたくなるじゃない。
松倉: そういえば、なんで99ホールなんですか?
石津: それは青山に本拠を構えて商売させてもらってるんだから、何かで地元のお役に立ちたいとおもったからさ。それでうんと安いホールをつくって、でかい劇場なんかにはなかなか出られない人たちに場を提供しようと思ったわけ。出演者からはお金が取れないし、入場料も馬鹿安いんだからホールの方も成り立つわけがないんだけど、宣伝費と思って会社でもっていたの。そしたら会社はやがてつぶれちゃったけどね。でも僕は後悔してないよ。
松倉: いやぁ、あのころカフェ・エスプレッソ356に来てくださった方々を思い出すと、先生のやられたことことがいかに素晴らしかったかを今さらのように感じますね。大勢のアーティストや芸能関係の人たちの中でも印象的だったのは、歌舞伎の勘九郎さんがち ょくちょく顔を見せて下さったことと、本を読むのがお好きだった都はるみさんが、お一人で静かにコーヒー飲みながら本を読んでらした姿ですね。
石津: へぇ、珍しいお客もおられたんだね。僕はそのお二人にはお目にかかれなかったな。
松倉: その他外国人の方々も多かったですよ。特にイタリー大使館やフランス大使館の方が毎朝のように来てくれてました。イタリー人というのは愉快な人が多いですね。毎朝パジャマのまま車でやって来て、店の前に車止めて駆け込んでくるんですよ。そしてエスプレッソを立て続けに3杯も飲んで、また車に乗って帰っていくんですよ。最初は唖然としましたね。
石津: 外人さんは旨いものを安く飲ませたり食わせたりする所には敏感だからね。それと、向こう風に立ち飲みというのが彼等には馴染みが深かったんだろうね。
松倉: えぇ、最初は僕も椅子なしというのは心配だったんですけど、やってみたらかえってその方が受けたみたいでしたね。それから間もなくして「ドトール」が登場したんですよ。
石津: うん、あれで日本のカフェ・シーンががらっと変わったね。早くて、安くて、旨い。最近価格破壊ということばが流行ってるけど、ドトールなどがその先駆者といえるだろうな。99円の我がエスプレッソはちょっと特殊すぎたものね。ところで、カプチーノも99円だったっけ?
松倉: いえ、そうはいきません。カプチーノは結構高かった牛乳を沢山使うので、私が先生を説得して150円にさせてもらいました。このカプチーノがまた一苦労で、あの白い泡がなかなか出ないのです。カプチーノというのはキリスト教の僧侶がかぶる白い丸い帽子のことだそうで、あの帽子のように白く丸い泡がコーヒーの上に盛り上がってないと駄目なんです。コルシーニさん、これも上手かったんですよね。
石津: いやー、今日は面白くて懐かしい話をありがとう。とても楽しかった。
さて、次回は何の話にしようかな。