遂にもう1つの目的地ナッシュビルに到着!
目指すはGRAND OLE OPRYのライマン公会堂
我々のチームは4人共アメリカン・ミュージックが大好きだったが、中でもチームリーダーの石津とメカニック担当の犬飼は大のカントリー&ウエスタン・ミュージックのファンで折角アメリカに行くんだったら、どうしてもカントリー・ミュージックの本場テネシー州ナッシュビルを訪ねたいと思い、予定コースに入れていた。ナッシュビルでは毎週GrandOleOpry(グランドオールオープリー)と呼ばれるアメリカのカントリー・ミュージック界最高のコンサートが開かれており、地元ナッシュビルの放送局を通じて全米にその模様が流れていたのである。
かつてカントリー・ミュージック・ファン憧れの場所だったグランドオールオープリーが開かれるライマン公会堂のステージ脇から何故我々がこの時代に写真を撮ることができたのか?1961年10月10日の夜、実際にこの場所に立った時我々は喜びで震えたものだ。こんなことができたのは当時のラジオ関東から「もしグランドオールオープリー」で誰か有名なカントリーの歌手にインタビューできたら、それを放送してやるというお墨付きをもらっていた我々は持ち前の厚かましさを発揮して
主催者に掛合い、見事楽屋に出入りするパスをせしめたからである。放送局のデンスケと呼ばれるプロ用の録音機など扱える我々ではなかったので、ポータブルの小型のテープレコーダーを持って行き、見よう見まねでインタビュアーの真似をしたのだ。舞台裏ではそれこそキラ星のようなスター達が行き来するのを捉まえては所かまわずインタビューした。このインタビューを通じて我々が一寸意外に思ったのは、この当時でカントリーのスター達はウエスタン・ウエアをあまり着たがらず、背広スタイルが多かったということだった。ビル・モンローやアーネスト・タブといった大御所たちはさすがにテンガロン・ハットにウエスタン・ウエアといういで立ちで、ジェネレーションによってはっきりとスタイルが分かれていた。
石津のインタビューににこやかに応えるのはスーパースターのマーティ・ロビンス。当時最新流行の極細ネクタイを締めている。残念ながら彼は故人となった。
長谷川のインタビューに応えるのはジョージモーガン。"Candy Kisses wrapped in paper"と甘い声が聞こえてくるようではないか。
ナシュビルの主として全てのカントリー・アーティストから一目置かれているアーネスト・タブも気軽にインタビューに応えてくれた。遠く離れた日本からライマン公会堂までわざわざカントリー・ミュージックを聞きに来るとは余程好きなんだなと逆に感心されてしまった。
アーネスト・タブはここナッシュビルで大きなレコード店を開いていて、グランドオールオープリーが終わるとみんなに自分の店にあそびに来いという。興味を引かれてオープリーが終わってから行ってみると、大きな店の端にちょっとしたステージが作ってあって、何とさっきまでオープリーのステージで歌っていた歌手たちがまた歌っているではないか。
勿論ギャラなんて払っていないんだろう。さすがに大物のパワーだなと一同感心したものである。
1961年当時ニュースターとしてカントリー界で注目を集めていたのがウィルバーン・ブラザースだ。まだ若い兄弟は我々の質問にも熱心に応えてくれたばかりか、ナッシュビル市内に自分達の小さなスタジオがあるから覗きに来ないかという。彼等は自分達のスタジオで吹き込んだニューレコードのためのテスト盤を聞かせてくれた。
真っ赤なボディに黒のヘチマ衿という派手なタキシードで現れたジム・リーブスには大スターのオーラが漂っていた。"Put your sweet lips a little closer..." と彼が歌い出すとライマン公会堂は熱狂の渦に包まれた。この後程なくして彼はツアー中の飛行機事故で帰らぬ人となってしまうのである。
ナッシュビルで、ということはアメリカのカントリー・ミュージック界で最大の大物の1人、ビル・モンローにも会えた。ブルーグラス・ミュージックのファンからは神様と崇められている彼ビル・モンローも気さくなジイサンだった(といっても40年前の彼は実はそんなにジイサンでもなかった筈だが)。ビル・モンローはこの後何回も日本に来ているはずで、日本の彼のファンの数は相当のものだろう。
こうして我々のナッシュビル訪問は大成功。思わぬ収穫に一同「ヤッター」と叫んだものだ。
我々が当時憧れていたグランドオールオープリーはテネシー州ナッシュビルにあるライマン公会堂で毎週開かれていたのだが、このRyman Auditoriumは1943年にGrandOleOpryが移ってきてからアメリカのカントリー・ミュージックのメッカとして世界中に知られるようになった。ここでのグランドオールオープリーは1974年まで続き、この年ナッシュビルに誕生したその名もOpryland(オープリーランド)という巨大なリゾートの中心施設となるOpry House(オープリーハウス)に移転したのである。
現在のOprylandにはゴルフ場やリゾートホテル、各種のアミューズメント施設が立ち並び、全米から家族連れが押し寄せている。Opry Houseでは毎週、火曜日、金曜日、土曜日にGrandOleOpryが開かれていて、4,440名収容という巨大なホールがいつもいっぱいだという。
現在アメリカのカントリー・ミュージックはロックやR&B、ポップスなどとの垣根が低くなり、クロスオーバーしてきて、ナッシュビル・サウンドとして発展しているようだ。


GrandOleOpryのオフィシャル・ホームページはこちら/www.opry.com