(最終回)
アメリカ一周旅行中のこぼれ話(その2)
本物のアイビーリーガーたち
我々のマツダ360クーペによるアメリカ1周旅行の最大の目的は「日本の軽自動車で広大なアメリカ合衆国を1周しよう」というものだったが、2番目の目的は1960年代初期の日本のメンズファッション界でも話題になり始めた「アイビースタイルのルーツをさぐる」というもので、アメリカ東部に散らばるアイビーリーグ8校の内できるだけ多くのキャンパスを訪れて、学生たちのキャンパス・スタイルを取材することにしていた。さらに海外旅行が自由化されていなかった当時、我々学生がアメリカへ旅行するための大儀明文として大学側に提出していた「同じカソリック系の大学巡り」も実行する必要があり、これを含めると3ヶ月のアメリカ滞在中に我々が訪れた大学は30校近くになる。
今回のレポートではReport No.2でお伝えしきれなかったところを写真をまじえて辿っていきたいと思います。
5つのアイビーリーグ大学を訪ねる
アイビーリーグ8校は1番北のハーヴァード大学(MASSACHUSETTS州)から1番南のペンシルバニア大学(PENNSYLVANIA州)まで全てがアメリカ東部に位置するため、9月初めに西海岸のロスアンジェルスから東に向けて出発した我々が最初に訪れる予定だったハーヴァード大学に辿り着いたのは出発してから50日を経過した10月23日だった。アメリカ最古の大学(1636年創立)憧れのハーヴァード大学を皮切りに、ブラウン大学(RHODE ISLAND州)イエール大学(CONNECTICUT州)コロンビア大学(NEW YORK州)プリンストン大学(NEW JERSEY州)の順で南下しながら各校のキャンパスを訪れた。残るダートマス大学、コーネル大学、ペンシルバニア大学は我々の予定コースから大きく外れていたので、残念ながら今回は割愛した。
1)ハーヴァード大学キャンパスにて
アメリカ最古の大学といわれるハーヴァードが創立されたのは1636年。その頃日本では徳川家康が江戸に幕府を開き、その権勢を誇っていた時代であるから、アメリカが歴史の浅い国といわれながらも、その文化や知識の奥深さには驚かされる。アイビーリーグの大学はいずれもアメリカ合衆国の知識階級を生み出す学問の殿堂といわれているが、その中でもハーヴァード大学は別格と位置付けられているのも頷けるものがある。
日本から特にアポイントもなくやって来た我々が果たしてキャンパスに足を踏み入れていいものかどうかも分からないまま、ともかく当ってくだけろというわけでハーヴァードのキャンパス目指して車を乗り入れた。どこに行くにも車がなければどうにもならない西海岸地方の大学キャンパスとちがって、東海岸のキャンパスでは学生は車は殆ど使わず、自転車が多いことに先ず気がついた。しかし外来の客のための駐車場はちゃんと用意されていて、招かれざる客の我々も厚かましくもそこに車を止める。誰も文句をいう気配はない。安心して車を降りキャンパスの中心らしきところに見当をつけて歩きはじめる。構内を歩いている学生達は我々と全く同じ世代なのに、何だか大人びてエラそうに見える。少し気後れしながらも英語が達者な長谷川君が歩いている学生を呼び止めて、学生が一番多く集まる学生センターのようなものがあるかどうか、それは何処かなどいろいろ質問する。彼はちゃんと答えてくれたあと、お前らは何者だと聞いてくる。我々の訪問の目的がキャンパス・スタイルの取材だと聞いて驚いたような顔をする。学生の構内でのスタイルのどこが面白いの?とでも言いたそうな様子だ。まさか遠く離れた日本でアイビーリーガーたちの服装が若者の間で話題になりつつあるなんて思いもしないことだろう。細かい説明は省いて学生が集まっていそうなところを目指して移動する。よく観光客も訪れるのか、我々を不審がる学生もいないようだ。
通りかかった学生をつかまえて質問する(左から)長谷川君、宮田君、犬飼君。
アメリカの学生たちは本当によく勉強するというのが我々の第一印象だった。予習復習に余念がない。
クルーネックのセーターの衿からのぞく白いボタンダウンシャツの衿と、白いソックスが知性溢れるアイビーリーグの学生らしさを物語っている。 自転車に乗っている学生をよく見かける。日本と違ってスポーツバイクが多い。この学生の自転車が一番ママチャリっぽいが、それでも何処かかっこいい。
我々の予想通りクルーネックのセーターは彼等の定番になっていてどこでもよく見かけた。ヒジに穴の開いたのなんかを平気で着ていたりする。結構バンカラなのだ。
こうして我々のアイビーリーグ大学訪問はやや緊張気味の内に第一歩を踏み出した。この後にも出てくる他の大学内の様子も含めて気が付くのは、今と違ってこの頃(1960年代初期)のアイビーリーガーたちはキャンパス内では誰もジーンズをはいていないことだ。45年経ったいまは恐らく教授の中にもジーンズ姿の人がいるに違いない。日本の学校内ではいまいろんな事件が起こっているが、最近のアメリカのキャンパス内はどうなっているのだろう。外部の者は学内に足を踏み入れるとき、いちいちチェックされるのだろうか。
2)ブラウン大学キャンパスにて
ハーヴァード大学でのキャンパス・スタイルの取材を終えると、我々は再び車をニューヨーク目指して南に向けた。途中ブラウン大学、エール大学に立ち寄ってそれぞれのキャンパス・スタイルを見ることにする。アメリカ合衆国で最も小さい州の1つが我々がハーヴァードの次に寄ったブラウン大学のあるロードアイランド州だ。この州の州都であるプロヴィデンスという街にあるブラウン大学はアイビーリ
ーグの中でも最も規模の小さい大学で、学生たちは学部を問わず興味のある全ての講議を受けることができるといわれている。ユニークなのはスポーツが盛んなことから、全員が水泳ができることを目指しているということだ。構内のそこここで使われている備品が全てティファニー製とのことであるが、本当だろうか?それほど金持ちの大学であることは間違いなさそうである。
ロードアイランド州といえばアメリカ屈指のリゾ
ート、ニューポートがあることでもよく知られている。ニューポートは世界で最も権威あるヨットレースのアメリカズ・カップの発祥の地でもあり音楽ファンなら誰でも知っているニューポート・ジャズの生誕の地でもある。古き良きアメリカの雰囲気を今も残すしっとりと落ち着いた街だ。
特にアポイントもとらずにいきなり訪問することが多く最初は先ず学生部長のような人に会って訪問の主旨を説明すると、大抵は親切に対応してくれる。どの大学の壁もアイビー、アイビーだ。
男子学生はジャケットの胸や背中の右肩のところに自分が属しているフラタニティのマークをつけていることが多い。フラタニティとは大学内の寮ではなく、学生たちが何人か集まって街の中に家を借りて自主管理するグループをいいアイビーリーグの大学には必ずあるようだ。
シェットランドのクルーネックセーターはアイビーリーガーの基本スタイルと言っても良い程どこでもお目にかかる。その下に白いボタンダウンシャツというのがお決まりの着方のようだ。
3)エール大学キャンパスにて
ブラウン大学を後にした我々は次なる目的地コネティカット州ニューヘイブンにあるエール大学に向かった。エール大学は他の大学とはちょっと違
って、キャンパス全体が街の中に溶け込んだようになっていて、大きな敷地内に大学全体が囲まれているのではなく、大学の建物が街を形づくっていて、いつの間にか大学街に足を踏み入れていることに気づくことになる。勿論建物自体は1701年の創立に相応しく古色蒼然としていて、蔦に覆われたものが多い。大学周辺は学生相手の本屋やカフェなどが立ち並び、知的で洒落た雰囲気を醸し出している。この街はアイビーファンなら誰もがよく知っているトラッドショップのJ.PRESSがあることでも有名だ。そんな街だからこそそこで学ぶ学生にも街の住民にもお洒落な人達が多いように見受ける。
アメリカ東部の古い街、特に大学のある街には本屋の中にカフェを開いているところがよくあり、このブックストアカフェでお茶を飲んだり、おしゃべりしたり本を読んだりして時間をつぶす人が多い。エール大学の近所にもそんな一角がある。
どの大学にも学生食堂があるが、さすがアイビーリーグの大学ともなると、建物全体に歴史があるだけに食堂も天井が高く堂々としている。メニューも60年代当時の我々の目から見ると、いかにも豊かなアメリカそのものを感じさせて誠に羨ましいものがあった。
ニューヘイブンの街に入るといつの間にかエール大学の中にいることに気がつく。学生も我々のチッポケな車を興味深そうな目で振り返る。
4)コロンビア大学キャンパスにて
アメリカ西海岸のロスアンジェルスを出発してから1ヶ月半の後、1961年10月25日ついに我々はニューヨークに到着した。エール大学を後にして憧れのニューヨーク目指して数時間のドライブの後、はるか前方にニューヨークの摩天楼がボーッと浮かび上がった時の興奮は45年経った今も忘れない。ひと際高く頭を突き出したエンパイアステ
ートビル。2001年の911テロで崩れ落ちたワールドトレードセンターはまだ建ってもいない。
ここニューヨークにもマンハッタンの街中にアイビーリーグのコロンビア大学がある。他のアイビーリーグ大学と違
って宗教色の薄いこの大学はその場所がアメリカで最も進歩的なニューヨークにあることも手伝ってか、自由な空気に満ちているように思われる。キャンパス内を歩く学生もどこか大人びて見えるし、彼等の服装もビジネスマンのようなスタイルが目立つ。コロンビア大学は社会人のためのクラスが多数あるので、すでに社会人となった人たちが沢山キャンパス内を歩いているせいかも知れない。
1754年創立というからアイビーリーグの大学としてはそう古い方ではないが、それでも既に250年の歴史をもっていることになる。創立当初から宗教の自由を謳っているところが他と少し違うところで、学内にはいつも進歩的な空気が漂っている。
前日の午後ニューヨークに入ったその足で車を大学のそばまで乗り入れて構内の様子をざっと見ていた我々は何となく服装を整えてから訪問した方がよさそうだと感じて、次の日ジャケットにネクタイというスタイルで学生部長に面会した。その効果はあったようだ。
既に訪問した3大学に比べてここコロンビア大学のキャンパスではジャケットにネクタイという姿の学生が多いようだ。社会人が勉強に来ているからだけでもなさそうで、学生もどこか大人びて見える。
5)プリンストン大学キャンパスにて
エール大学の創立に45年ほど遅れて1746年にプリンストン大学はニューヨークから西へ車で約1時間半ニュージャージー州プリンストンの街に設立された。プリンストン大学は数多くの外交官を輩出していることから、ディプロマット大学とも呼ばれている。いかにもアメリカ東部の裕福な街といった落ち着いた佇まいを見せるプリンストンの中心に位置するキャンパスにはアイビーリーガースそのものといった姿の学生たちが行き交う。我々の今回のアイビーリーグ大学訪問の最後の場所でもあるので何だか名残惜しくて立ち去り難い。しかしこの先長い旅でもあり、次の訪問地アメリカの首都ワシントンDCが待っているような気がして、うしろ髪を引かれる思いでプリンストンを後にする。
ベージュのコットンパンツに白いソックス。パンツは短くくるぶしが丸見えというのがアイビー的着こなしのスタンダードとなっている。
セーターはクルーネックというのがアイビーリーガーの定番だが、この彼はめずらしくVネックのセーターに赤シャツを合わせている。
アメリカの大学周辺には日本でよく見られる雀荘やビリヤードといった下世話なものは殆どない。とにかく学生はよく勉強するというのが我々の印象だった。予習、復習を十分にやらないと、ついて行けないということで、彼等はどこでも静かに何かを読んでいる。高い授業料を払っているのに遊んでなんかおられるか、とでも云っているかのようだ。「俺達も見習わなきゃな」と顔を見合わせたことも何度かあったものだ。
かくして我々のアイビーリーグ大学キャンパス訪問の旅は一応幕となる。今回はこの旅のスポンサーでもあるVANのための「アイビールック取材訪問」であったため、各校ではキャンパスをひたすら歩き、構内を行き来する学生たちの服装にもっぱら目をやり、写真を撮ることに専念したわけだが、彼等の仲間に入れてもらいアイビーリーグのどこかの大学で勉強できたらどんなにいいだろうというのが本音であった。この約1ヶ月後に出発点のロスアンジェルスに帰り着いた後、メンバーの1人長谷川君がアメリカに居残り、カリフォルニア州サンタバーバラのカリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)に留学したのを私石津は今でも羨ましく思っている。