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キャンピング天国アメリカ 1960年代初期のアメリカはヒッピーが台頭する直前のまだ静かな時代で、街中でも郊外でも或いは人里離れた田舎でも、公園や道ばたでテントをはってキャンプしていて危険を感じたりすることは1度もなかった。今では余程気をつけて場所を選ばないと、命までもが脅かされることになる。我々はドライブしているとつい先を急ぎたくなって、暗くなるまで走ってしまい、さて泊まる所はとキョロキョロ目を走らせてモーテルのVACANCYというネオン・サインをさがすことが多かったのだが、気持よく晴れた日などに丁度良くキャンピング・パークに出くわしたりすると、車を止めてテントを張り、キャンプの準備を始める。デトロイトからカナダに入ると、いたる所でキャンプの設備の整った公園に出くわす。 |
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アメリカ側の町バッファローを後にして東に車を向ける。コダックの本拠地ロチェスターを通過し、シラキュース大学を訪問、そして遂にアメリカの東海岸ボストンに到着。よくここまで無事故、無故障で来られたものと一同祝杯を上げる。 | ||
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我々が持ち帰ったアイビーリーグ各大学のキャンパス生活の写真と報告書は、やがて数年後にVANが大デレゲーションを派遣して制作した、カメラマン林田昭慶氏によるあの伝説的な写真集{TAKE IVY]と短編映画[TAKE IVY]につながることとなる。60年代初期のアイビーリーグ大学のキャンパス・スタイルは今見ても決して古くはない。3つ釦ブレザーはここ数年メンズのジャケットの主流に復活しているし、クルーネックのセーターやコットンパンツは今もベーシックなカジュアルウエアとして幅広い層に着られている。唯一のしかも大きな違いは、当時は禁じられていたキャンパス内でのジーンズの着用がいつの間にか解禁になったことだ。これも時代というものだろう。 マリワナにもコカインにも無縁であった当時の学生達は、それでも自由な空気にあふれたキャンパスや学生寮での楽しい生活を満喫していた。我々も度々各大学の学生寮に泊めてもらい、宿泊費をうかせたものである。 |
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結局次の日からは我々メンバーの1人宮田君の父君が役員を務めるヤシカ・カメラのニューヨーク営業所の所長さんの家に泊めてもらうことになる。移動が終ると早速街に車で乗り出す。弁当箱のように真四角な国連ビル、アールデコ美の極致クライスラービル、いわずと知れたニューヨークの象徴エンパイアステートビル、世界中の演劇人、映画人、ミュージシャンが憧れるタイムズスクエア、アーティストの群れるグリニッジ・ヴィレッジ、遠くに見える自由の女神像、今はなきあのワールドトレードセンター・ビルはこの当時はまだ建ってもいない。 |
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