キャンピング天国アメリカ

1960年代初期のアメリカはヒッピーが台頭する直前のまだ静かな時代で、街中でも郊外でも或いは人里離れた田舎でも、公園や道ばたでテントをはってキャンプしていて危険を感じたりすることは1度もなかった。今では余程気をつけて場所を選ばないと、命までもが脅かされることになる。我々はドライブしているとつい先を急ぎたくなって、暗くなるまで走ってしまい、さて泊まる所はとキョロキョロ目を走らせてモーテルのVACANCYというネオン・サインをさがすことが多かったのだが、気持よく晴れた日などに丁度良くキャンピング・パークに出くわしたりすると、車を止めてテントを張り、キャンプの準備を始める。デトロイトからカナダに入ると、いたる所でキャンプの設備の整った公園に出くわす。
こういった場所には必ず近くにスーパーマーケットがあって、キャンピングに必要なものは何でも揃っている。オンタリオ州のとある田舎町のキャンピングパークでテントを張ってキャンプをしていると、我々のハンバーガーを作るおいしそうな匂いに誘われて、洗い熊が寄ってきていきなりハンバーガーに飛びつきアッという間に持って行かれてしまって、一同唖然としたものだ。彼等の心臓は相当なもので、その夜中テントの外でごそごそ何か音がするので外に出てみたら、またその洗い熊たちがやって来てカバンに入れておいた食料を盗もうとしているのであった。本当に厚かましい奴等である。
ナイアガラ瀑布の壮大さに驚く

カナダはオンタリオ州を通過してナイアガラの滝に到着、ここから再びアメリカに入ることになる。写真や映画を通じて知っていたナイアガラではあったが、聞くと見るとは大違い。そのスケール、その大音響に度胆を抜かれたものだ。マリリン・モンロー主演の映画「ナイアガラ」に出て来たシーンを辿ったり、滝つぼ深くにエレベーターで降りたりと、1日中をナイアガラで過ごし、いよいよ再びアメリカの旅を開始。
アメリカ側の町バッファローを後にして東に車を向ける。コダックの本拠地ロチェスターを通過し、シラキュース大学を訪問、そして遂にアメリカの東海岸ボストンに到着。よくここまで無事故、無故障で来られたものと一同祝杯を上げる。
アイビー・キャンパスで大学生活に触れる

ボストンでは憧れのハーヴァード大学を訪問したり、アメリカの知的社会を代表する街の雰囲気を満喫したりと、この旅の最大のテーマであるアイビー文化に浸る毎日を過ごす。そしてもう一つの憧れの地ニューヨークを目指して南西に進路を向ける。アイビーリーグを代表するもう一つの大学はコネチカット州にあるエール大学。ニューヘイブンというとても感じのいい大学街の真ん中にエール大学はあり、この大学はアメリカでは珍しくキャンパスらしい形はなく、大学の校舎自体が街を形作っている。即ちキャンパスが幾ブロックもの街にまたがっているのである。
街に出てみると、ブックストアと呼ばれる本だけでなく種々の生活雑貨も売っている店や、学生達の溜り場となっているカフェやレストラン、アイビールックの洋服の発祥ともいわれているメンズショップのJ.プレスなどが並んでいる。街を歩く住人達も皆何となく知的に見えてくる。こんな所には何日いても飽きることがないだろう。
我々が持ち帰ったアイビーリーグ各大学のキャンパス生活の写真と報告書は、やがて数年後にVANが大デレゲーションを派遣して制作した、カメラマン林田昭慶氏によるあの伝説的な写真集{TAKE IVY]と短編映画[TAKE IVY]につながることとなる。60年代初期のアイビーリーグ大学のキャンパス・スタイルは今見ても決して古くはない。3つ釦ブレザーはここ数年メンズのジャケットの主流に復活しているし、クルーネックのセーターやコットンパンツは今もベーシックなカジュアルウエアとして幅広い層に着られている。唯一のしかも大きな違いは、当時は禁じられていたキャンパス内でのジーンズの着用がいつの間にか解禁になったことだ。これも時代というものだろう。
マリワナにもコカインにも無縁であった当時の学生達は、それでも自由な空気にあふれたキャンパスや学生寮での楽しい生活を満喫していた。我々も度々各大学の学生寮に泊めてもらい、宿泊費をうかせたものである。 
コネチカット州
エール大学にて
憧れのニューヨークに到着

1961年9月1日にロスアンジェルスに2台の車と共に上陸し、サンフランシスコ、ソルトレイク、デンヴァー、カンサス、デトロイト、カナダ、ナイアガラ、ボストンというアメリカ中央部を横断する形で西海岸から東海岸へ走破した我々は、10月25日ついに憧れのニューヨークに辿り着いた。17州を通過し、55日を費やしてアメリカをやっと片道だけ走ったことになる。エール大学のあるニューヘイブンの町から数時間車を走らせると、やがてはるか遠くに摩天楼群が見え始める。ひと際背の高いビルがその特徴のある形からエンパイアステートビルであることが分る。胸が高鳴る。「あぁ、遂に夢にまで見たニューヨークだ」。アクセルを踏む足にも力が入る。ニューヨークではこれまで通過した町でのように、簡単にモーテルには泊まれそうもない。街のど真ん中に泊まりたい我々は、止むなくマンハッタンの中心部にある
YMCAを目指す。エンパイアステ ートビルを近くに仰ぎ見る場所にそれはあった。ロスに上陸して最初に泊まったYMCA以来の久し振りの大都会の宿泊、それも同じYMCAである。ところがやはりここでも困った問題が持ち上がった。車をどこに止めるか。サンフランシスコでは一晩道路に止めていて、レッカーに持って行かれてしまった。その二の舞いはごめんだ。仕方なく近くの駐車場に預けたのだが、これでは料金の安いYMCAに泊まっても意味がない。
結局次の日からは我々メンバーの1人宮田君の父君が役員を務めるヤシカ・カメラのニューヨーク営業所の所長さんの家に泊めてもらうことになる。移動が終ると早速街に車で乗り出す。弁当箱のように真四角な国連ビル、アールデコ美の極致クライスラービル、いわずと知れたニューヨークの象徴エンパイアステートビル、世界中の演劇人、映画人、ミュージシャンが憧れるタイムズスクエア、アーティストの群れるグリニッジ・ヴィレッジ、遠くに見える自由の女神像、今はなきあのワールドトレードセンター・ビルはこの当時はまだ建ってもいない。