憧れのインディ500レースウエイ
1960年代初期のアメリカは全てが豊かで車は大きく、ドラッグに犯されたフラワーチルドレンもいなければ、ヘルスエンジェルス達の暴走にもお目にかからなかった。我々がアメリカをドライブ旅行した翌年にあのフォードムスタングが誕生し、以後アメリカは小型車時代へと移っていくのだが、この時期殆どのアメ車は5000CC以上の排気量を誇る大パワーエンジンを積んでハイウエイを爆走していた。アメリカ人たちが世界一と自慢するカーレースがインディアナポリス500マイルレースで、1周4キロのオーバルコース(楕円コース)をアクセル全開でぶっ飛ばす豪快なものだ。インディ500は5月末におこなわれるから、我々がインデアナ州を通る9月には何も行なわれていないことは分かっていたのだが、このアメリカで最も有名なレーシングコースは是非見ておきたいというので、インデアナポリスに1泊することにした。何もイベントの開かれていないインディアナポリス・モーター・スピードウエイは閑散としていたが、施設の中にあるインディのミュージアムはオープンしていた。歴代のチャンピオンの写真や各時代に活躍したインディ・カーがずらりと展示してある。カーレース・ファンにはたまらなく面白いミュージアムだ。
はるばる日本からインディの取材にきた」といいかげんなことを係員に云っていかにもインディ・カーらしい車のコックピットに座らせてもらった。この頃のインディ500の車はオッフェンハウザーと呼ばれる車が主流で、フロントエンジン、リアドライブというオーソドックスなメカニズムだった。この2〜3年後にヨーロッパのF-1レース界を席巻していたロータスがコリン・チャップマンに率いられてインディに乗り込んでくるのである。そしていきなりあの伝説のF-1ドライバー、ジム・クラークが優勝をさらうのである。フロントエンジンのオッフェンハウザーの時代に終わりがきたのだ。アメリカ人はいたくプライドを傷つけられたが、同時にアメリカも近代的なミッドシップエンジンの時代へと移っていくのである。
歴代のチャンピオン達が写真で紹介されている。この時代(60年代初期)に最も油の乗っていたドライバー、A.J.フォイトはアメリカ人にとっては正に英雄だった。
車の国アメリカにはいかにもアメリカらしい自動車レースがいろいろあるのだが、その中で最もアメリカらしいレースがドラッグレースと呼ばれる加速レースだ。これはスタートしてから400メートルまでのタイムを競うもので、アメリカで主流だったV8エンジンをベースにあらゆるチューンナップを施してパワーを上げ、ものすごい加速力を持ったレースカーが爆音を轟かせ、排気管から炎を吹き上げながら走る様は正にアメリカそのものだ。このドラッグレースはアメリカ中で大人気で、どんな田舎に行ってもコースがちゃんとあって、日曜日ごとに開かれている。中にはV8エンジンを縦に3つも繋げたモンスターが出てきたりもするが、大パワーが必ずしも勝つとは限らず、クラッチの合わせ方の上手いドライバーが小さくて軽い車で優勝をさらったりする。
このドラッグレースは60年代の後半に日本にもやってきて、各地でデモや競技が行なわれたが、結局日本のカーレースの世界には根付かなかった。あまりにも単調で金のかかった車が勝ちをさらってしまうことが多かったからだろう。
デトロイト郊外で開かれたこのローカルなドラッグレースでも、巨大なエンジンのモンスターに挑んだこの小さくて地味な車が優勝をさらった。ドライバーの腕がものを云ったよい例だ。
60年代のアメ車は5000〜6000CCという大排気量のV8エンジンが主流で、ボディは幅広く低く作られ、うしろに向かってピンとはり出したフィンが特徴的であった。長さは6メートルもあるものが珍しくなく、世界中の道路を威風堂々と走っていたものだ。ヨーロッパでも金持ちはこの大きくて静かで乗り心地のよいアメ車を得意そうに運転していた。そんなまるでモンスターを思わせる巨大なアメ車の中では、我々の目にはこのGMのポンティアック・グランプリがスマートで好感がもてたものだ。