「石津祐介島暮らし」ブログ終了のため、2005年12月28日から2007年11月22日までのブログをここにまとめました。

移住しました 2005.12.28
10年以上温めていた「南の島でのんびり暮らす」という計画を両親の死を機に実行に移すことにしました。場所は沖縄の隣の島ー与論島、といってもここは鹿児島県なのです。東京のテニス仲間の友人が2年前からここに住んでテニス仲間の環を拡げてくれています。テニスを通じて島の生活にとけ込んでみようと計画しているところです。
さて、都会でしか生活したことのない老人(とは自分では思っていない)の私が島の生活に果たして馴染むことができますかどうか。ときどき(しょっ中は面倒くさい)お伝えしていこうかな。先ずは住みかの周りの状況から。写真の右端の小高い崖の上の家に住んでます。

部屋から海が見たい 2005.12.29
移住先が何故与論島なのかとよく友人に聞かれる。なに大した理由があるわけではない。沖縄とはまた違った与論の古い文化に魅せられたわけではなく、海のすぐそばに家を見つけたからにすぎない。沖縄本島でも石垣島でも南の島なら何処でもいいと思っていた。テニスで傷めた肩やひじ、加齢による腰痛や肩こりに悩まされるこの体が南の島での暮らしを求めていたのだ。島の人たちは「こんなに台風の多い地方で海のそばに住むなんてアホか」という。来年の台風シーズンを乗り切れるか、と興味をもってながめているまわりの人たちを見返すことができるかどうか、自分でも楽しみだ。でも部屋からのこの景色は何物にも代え難い。

島人たちは漁が好き 2005.12.31
南の島といっても12月ともなれば気温は20度Cを下回り、風が北風に変わって体感温度はかなり低くなる。今日は気温18度、風は南東からなので比較的暖かくは感ずるが、と ても海に入る気にはなれない。ところがふと窓の外を見ると幼い女の子3人とそのパパらしい男性がズボンの裾をまくり上げて膝まで海に入って何か一生懸命にとっているではないか。あんな波打ち際ではたいしたものはとれまいが、一心に何かをさがしている様子だった。やがて諦めたように何も手にせずに水から上がりビーサンを手に裸足で砂の上を歩いて帰っていった。このあたりは干潮の夜には懐中電灯を手にヤスを持った人が腰まで海につかってイカやタコをとっているのが見える。そのうち私もやってみよう。

島へのアクセス 2006.1.3
与論と本州を結ぶ空の便は沖縄の那覇経由便と鹿児島経由便とがある。那覇とを結ぶのは琉球エアコミューターのプロペラ機でハイシーズンは1日3便だったのが11月に入ると客足がぐっと減るせいか1日1便になってしまう。ちょっと寂しい。しかし年末年始の今はまた3便になって、我が家の真上を1日3回の那覇便が飛んでいく。この他鹿児島便とか隣の沖永良部への便が何便かあるのだが、那覇とを結ぶこの小さなプロペラ機が好きだ。ジャンボ機のように高空を飛ぶのでなく、比較的低いところを飛ぶのでいかにもローカル便に乗っている感じがする。そこに親しみがもてるのかも知れない。

寒波の影響 2006.1.8
この冬は日本列島を寒波が襲い北日本は凍りついている状態だ。暮れから正月にかけては暖かい日が続いていたここ与論島も4日ぐらいから寒い北風が吹き始め、気温も12度Cまで下がってきた。わずか2ヶ月足らずの島生活でもその気候に体が慣れていたのかひどく寒く感じる。最も寒い2月には10度Cを下回る日もあるという。それでもざっと見たところ島には暖房完備といったところが目立たず、電気ストーブやオイルヒーターなどで寒さを一時的に凌ぐらしい。よく目にするのは扇風機の形をしたハロゲンヒーターという奴で、お椀型をした反射板の効果と相まってその前にいると滅法暖かい。部屋全体を温めるにはちょっと心もとないが、たき火に当たっていると思えばその赤く光る光源ならぬ熱源の心理的な温かさも手伝ってなかなか具合がいい。しかしこの南の島に暖房器具はやはり似合わない。早く暑い夏が来ないかと願っている。

クジラが来た 2006.1.9
目の前の海に例年春になるとクジラがやって来るという。部屋からホエールウォッチングができるなんて素晴らしいではないか。同じく春から夏にかけて運がいいとウミガメが浜に上がってきて産卵するところが見られるという。今朝2軒先に住む島生活の先輩から電話があり、目の前の海にクジラが来ていると叫んでいる。早速カメラをつかんで屋上に上がり待つこと10分。沖合に背びれが見え続いて汐を吹くのが見えた。カメラを調節している間にクジラの全身が見えるくらい高く ジャンプ(ブリーチング)するのが見えたが一瞬のシャッターチャンスを逃がしてしまった。また春に彼らが頻繁に現れる時に今度こそチャンスをものにしてやろう。

島のテニス事情 2006.1.14
趣味の1番目がテニスという私は酒が飲めないので、島の人たちとの交流は酒を媒介とするかの有名な与論献奉ではなく、テニスを通じて計ろうと思っている。島にはいくつかのスポーツ施設があるが、満足にテニスができるところは2つある屋内体育館のうちの1つだけである。それもテニス専用ではなくゲートボールと共用で、サーフェースはテニス向きのオムニ(砂入り人工芝)ながら、ゲートボールのラインも引いてあるので慣れるまでは紛らわしい。しかし建物の構造はしっかりしており、1滴の雨漏りもないこんなに立派な屋根をもったインドアコートは東京でもめったに見られないものだ。テニス人口は少なく、常連できているのは20人ぐらい。それでも島にはテニス連盟というのがあって、会長は還暦を迎えたばかりの島出身のひとで、写真スタジオを経営しながら島のテニス発展に労を惜しまない。役場に勤めるテニスのバカに上手い女性が会長を補佐して週に1回初心者のためにテニススクールをボランテアで行っている。町からスポーツ振興のための助成金は出ているらしいが、ごく僅かなもので、コート使用料やボール代に消えてしまい、無料のスクールはこういったボランテアの人たちの好意に頼っているらしい。20人ぐらいの常連の中には30代の人も何人かいて、彼等のタマはやけに早くてやがて70に手の届きそうな私には見えないこともある。しかしこんな私にも気持ちよく付き合ってくれるので週4回もコートに行くこともある。

冬の夏日? 2006.1.19
冬真っただ中の1月下旬にさしかかろうというのに、この1週間の暖かさは信じがたい。今日などは東京では午後1時現在7度Cというのに、ここ与論では今24度Cだ。12月下旬に昼間でも11度Cしかなくて暖房を入れていたことが信じられない。まさかこのまま春が来るとは思えないので、多分来週あたりからまた冬に逆戻りするのだろう。今のうちにせいぜい日光浴でも楽しんでおかねば。南国に来た甲斐があるというものだ。本州の人には申し訳ないみたいだ。

島のライフライン 2006.1.23
与論島にはかなり大型のスーパーマーケットが1つと小型のスーパーが5〜6軒ある。生鮮食品は主として鹿児島から入ってくる。マリックス・ラインとA-LINEという2つの船会社のフェリーが交互に毎日1便鹿児島から入ってきて生活に必要なものが補充されるのだが、悪天候の日は欠航になり、ひどい時は3〜4日も入ってこないことがあるらしい。
与論港は結構大きく、3万トン近い「飛鳥」が入港したこともあるという。この2つの船はカーフェリーでもあるので、沖縄には自分の車と一緒に行けるわけだ。暖かくなったら車で沖縄を一周してこよう。

桜が咲いた 2006.1.24
日本で最初に桜が咲くのは沖縄本島の中ほどにある本部半島ということになっていて、今年も先週早くも咲いたというニュースをテレビで見た。その本部と目と鼻のさきにあるここ与論島でも同じ時期に咲き始めた。もっとも桜といっても本州で桜と一般に思われている染井吉野ではなく、避寒桜と呼ばれている花で色が濃い。遠くから見ると桜というよりは紅梅や桃と見まがうぐらいだ。与論にはこの桜が群生しているところがないせいか、お花見という習慣がないみたいだ。あんなに酒盛りが盛んなところなのに。

島の車事情 2006.1.25
島に移住するに際して車をミニクーパーから日産キューブに変えた。外車ではメンテナンスに不便だと思ったからだ。軽自動車王国で大きな車は不便だし、前から国産車ではキューブ以外に気に入ったデザインの車がなかった。島では制限速度が40キロで殆どの人が40キロ以下でノロノロ走っている。50キロぐらいで走っていたら助手席に乗っていた隣人から「速すぎる」と叱られた。今は人を乗せている時は気持ちを押さえて40キロ以下で走るよう心がけている。その代わり1人のときは・・・? 島の幹線道路は1周が11キロ、その外側の海沿いの周遊道路が一周22キロ。ゆっくり走っても20分かからない。しかし公共交通機関は無きに等しい(1時間に1本ぐらいのバスのみ)ので車は必需品となっている。

山鳩が来た 2006.1.26
わが家の東の海に面した浴室の窓から手が届くところにモクマオと呼ばれる木が立っている。その木に2〜3週前から山鳩のつがいがよく来ているのに気がついていた。きのうふと見ると枝の又のところに小さな巣があり、1羽がじっとうずくまっていた。巣はまだ未完成らしく、もう1羽がときどき小枝をくわえて帰ってきては巣に落としていく。巣が完成する前に卵を生んだらしい。2ヶ月前ここに移住するまで40年間住み慣れた東京四谷の家の庭に毎年山鳩のつがいが来て雛を育てているのをずっと見守ってきた。同じことがこの島で期待できそうだ。今度は四谷のときよりもっと近いところで雛がかえり成長していくところが観察できると思うとワクワクする。毎朝風呂に入る楽しみがまた1つ増えた。東京では3年目に巣が野良猫に襲われ雛が2羽ともいなくなってしまった。ここでもたまに野良猫を見かけることがある。よく注意していて、もし猫がねらっている様子があったら強力なゴム製のパチンコで追っ払ってやろう。

犬ものんびり 2006.1.29
薄日が射し春うららといった暖かさの今朝、のたりのたりの海を見ながらドライブしていて、村にさしかかる道を曲がったところで驚いた。前方の道路の真ん中へんに白い犬が寝そべって日向ボッコと洒落込んでいるではないか。めったに車なんか来ないんだろう。まるで落ち着き払って目を閉じ悠々たるもんだ。僕の車を進めて行っても知らん顔で目を開けようともしない。恐れ入った。「邪魔してごめんね」とつぶやきながらそっと通り過ぎた。これが黒い犬だったり、ましてそれが夜だったりしたら、気がつかないでひき殺してしまうところだ。やっぱり島での運転はゆっくりやらねば。

日本一早いお花見 2006.2.3
10日ほど前から咲き始めた桜がピークを迎えた。与論の桜は沖縄のと同じ避寒桜で、本州で一般に桜を指すそめい吉野と違って色が濃く赤い。そめいは本州のように四季がはっきりしていて冬が寒くないと育たないらしい。それとこの島には桜が群生しているところがないせいかお花見の習慣がないそうだ。そんな状況の中、昨晩与論テニス連盟会長夫人の音頭取りで満開の避寒桜の木の下でお花見が開かれた。お花見となると酒盛りがつきもので、僕にとっては恐怖のかの与論献奉に巻き込まれるのではと心配したが、幸いテニス連盟のメンバーはおとなしく頭上の花を愛でながらのパーティとは相成った。

待望の家具が届いた 2006.2.9
3ヶ月前にここ与論島に移住するために買った家には前の住人が使っていた家具類がそのまま残されていた。そのどれもが気に入らなかったのでほとんど全部を放り出してしまった。キッチンとリビングルームの間にはカウンターがあり、そのカウンターを食卓として使うことにしたのだが、そこにあった座部の高いハイチェアも全く気に入らず困っていたところ、30年の付き合いのある富山のKAKI工房が僕のイメージに沿ったチェアを作ってくれた。細身で軽い感じに仕上がっており大満足している。同時に作ってくれたブルーのチェストともマッチしていて、だんだんと部屋がイメージ通りに仕上がっていくのが楽しみだ。

雑草刈り 2006.2.14
冬なのに南国では雑草の伸び方も驚くほど早い。これ(左写真)雑草なのだ。背丈は150センチ以上ある。茎は直径7センチぐらいもあるが水っぽくて柔らかい。鎌で切ると何の抵抗もなくすっと切れる。蕗(フキ)と同じ香りがプンと立ちこめる。蕗ぐらいの太さなら煮浸して食ってみたいが、憎たらしいぐらい太いのでとても食う気はしない。僅か2ヶ月足らずでこんなに大きくなるので、毎月家の周りを回って雑草刈りをしないとみっともないことになってしまう。今日は南の風が強く吹きつけているので暖かい。午前11時で気温は24度もあって作業をすると額から汗がしたたる。いま島には花が咲き乱れている。ハイビスカス(写真右)やブーゲンビリアがとてもきれいだ。夏の方が花が少ないのは台風で吹き飛ばされてしまうかららしい。今年も去年みたいに台風が来ない年になるといいのだが。

島野菜 2006.2.18
先日海が見下ろせるカフェでとんかつ定食を注文したら、ついて来たご飯がなんともキレイな紫がかったピンク色をしていた。おかみさんに聞いたら「パンダマ」という島でとれる野菜の煮汁で炊いたご飯だという。おひたしにしたら美味しいですよというので早速スーパーにさがしに行ったら、あったあった。葉の裏側が濃い紫色で茎は結構硬そうだ。いつもの小松菜やほうれん草と同じようにラップに包んで電子レンジで2分半、水にさっと通して冷やし手で絞ると紫色の汁がしたたった。これでごはんを炊いたのだ。根元に近い茎は硬いので切り捨て、適当な長さに切ってポン酢をかけ、これにかつ節をふりかけてみた。少しくせのある香りだがこれはくせになりそうな旨さだ。それにしても「パンダマ」なんて変てこな名前はどこからきたんだろう? 島のところどころに無人の野菜スタンドがあり、どれも1束100円(!)だ。無造作に缶がおいてあって「まごころで」なんて書いてある。余計な心配だ。

初泳ぎ 2006.2.20
今日は雨という天気予報を完全に裏切って朝から雲1つない晴天となった。気温もぐんぐん上がり正午すぎには25度を超えた。午後からは白い雲がプカプカ浮かび始めたがそれでも雨雲は出ず、真夏の高い積乱雲とはいかないまでも、写真のような少し湿気を感じさせる白い雲が東の空をゆっくりと流れていった。朝から何となくウキウキしてTシャツと短パンというちょっと無理した格好ですごした。午後目の前のビーチで膝まで海に入ってみたが、最初はヒヤッとしたもののすぐに慣れて冷たさを感じなくなったのでTシャツを脱ぎ捨ててザブンと頭から飛び込んだ。気持ちがいい。しばらく泳いで水から上がっても思ったほど寒くない。水温は多分20度を超えていたのだろう。22度くらいはあったのかも知れない。2月20日に海で泳げるとは。島の人が2月にこんなに暖かいのは珍しいと言っていた。もう1度くらいは寒くなるのだろうが、なんとなく春の到来を感じる。夏が待ち遠しい。

庭を這い回る奴ら 2006.2.21
わが家は波打ち際から5メートルぐらいの高さの崖の上に建っている。この崖は殆どが岩でその岩にこびりついた土にシュロや灌木や雑草が生えている。斜面は急角度で垂直に近い。どうやって這い上がるのか、海にいるはずの大きなヤドカリたちが庭までやってきてゴソゴソ這い回っている。何をしに来ているのだろう?庭には芝が生えているだけだし、40〜50センチの低い石垣の上には野鳥のためにおいた小鳥のエサ皿が1つおいてあるだけだ。まさか小鳥のエサの粟やトウモロコシをねらっているわけはなさそうだし、5メートルもの崖(人間に直せば猶に100メートル以上はあろう)をよじ上って石垣や落ち葉の上をガサゴソ歩き回る彼等の目的は何なのか、こいつは是非とも究めねばなるまい。

再びヤドカリ 2006.2.24
ヤドカリが何故5メートルもの崖を登ってわが家の庭まで来るのか。どうもこれは珍しいことではないらしい。ヤシの木に登ることからその名がついたと思われるヤシガニとヤドカリには似たところがある。他のカニのように海の中に住んでいるわけではないということ、カニのように平たくて横に移動するのではなく、大きな上半身と前足で前方に動くことが似ている。そして今朝その共通点の最たるところを見た。鳥のために置いている粟とトウモロコシのエサ皿の上に大きなヤドカリがいて何かボソボソ食っているではないか。何と彼等は粟も食うのだ。僕が近づくとあわてて逃げ出した。ふと見るとそばのシュロの幹にも別のヤドカリがとりついて食事中といった様子だ。聞いたところでは彼等は虫や魚の死骸にもとりつくという。つまるところ何でも食うのだ。多分ヤシガニもそうなのだろう。この島にもヤシガニがいると聞く。とても旨いというそのヤシガニを今度はこちらが食ってみたいものだ。

早起きは三文の徳 2006.2.26
今朝早く目が覚めると部屋が赤く染まっているように見えた。起き上がって窓から外を見ると真っ赤な朝焼けだ。東の水平線に沿って横に走る雲が黄金色に輝いていた。ふと後ろを振り返ると見事な虹が出ているではないか。慌てて部屋にカメラをとりに走った。こんなにのんびりした島に来たらだんだん朝寝坊になっていくんだろうなと思っていたのだが、3ヶ月経ったいまでも以前と変わらず朝7時には目が覚めてしまう。習慣というよりも年のせいであまり睡眠を必要としなくなっているのだろう。事務所に行かないのにこんなに早起きしていたら暇を持て余すかというとそうでもない。いつの間にか昼になってしまう。退屈しているひまがないというのはありがたいものだ。

ナベサダ・ミュージック 2006.2.28
与論島のダウンタウンは茶花(ちゃばな)と呼ばれる街にあり、その中心部にA-COOPという島で1番大きなスーパーマーケットがある。車が30台ぐらい停められる大きな駐車場があって、いつもスピーカーからものすごい鹿児島アクセントの宣伝が流れている。コマーシャルの合間にはバックミュージックにしては大きな音の音楽が流れているのだが、何だか聞いたことのある曲が耳に入ってきたのでよく聞いてみると、何とそれは40年前に僕がヴァンの宣伝部長だったころ、ナベサダさんにつくってもらった「VANミュージックブレイクのテーマ曲」ではないか! 1966〜7年当時VANは東京のテレビ朝日(10チャンネル)で「VANミュージックブレイク」という番組を毎週日曜日の昼間に単独提供していた。アメリカから凱旋帰国して日本のジャズ界を席巻していたナベサダこと渡辺貞夫さんが音楽ディレクターとして毎回出演、司会は前田武彦さんという豪華な取り合わせだった。芝居っけのある石津謙介VAN社長も度々出演してはナベサダさんやマエタケさんにからんでいたものだ。40年ぶりにそのテーマ曲をこの離島の与論でしょっ中聞くことになろうとは。A-COOPはバックミュージック用のCDの持ち合わせが少ないらしく、この曲の入っているナベサダさんのCDが1日に何回もかけられることになるわけだ。古稀(70才)を過ぎて今も第1線で活躍されているナベサダさん、がんばってください。