永らくのご無沙汰、ブログ再開します。 2007.4.13
去年の秋からしばらくカナダ在住の親友で、我がボタンダウンクラブ海外メンバーでもある石川金矢君のところで過ごし、その後ハワイに移って数ヶ月滞在。大好きなハワイでは将来定住できる可能性はないものかを探ったりしたものだが、どうもこれは法律の壁をかいくぐるのがむつかしそうで半分諦めかけているところ。
カナダでもハワイでもパソコン音痴の俺のこと、このブログもうまく続ける方法がわからず、ずいぶんのご無沙汰となってしまった。もし見ていてくれた人がいたらごめんなさい。今となってはかなり旧聞に属することながら、カナダとハワイで経験した面白いできごとのみ選んで書いてみようかな。
去年秋のカナダは噂に聞いていた山が真っ赤に燃えるような紅葉が見られずがっかり。とても写真に撮る気になれなかった。これも地球の温暖化に何か関係があるのだろうか?上の写真にある2つの家は左が金矢君の陶器のショールームで、右は彼の陶器製作のアトリエだ。千坪近くもあろうかと思える敷地にこの他彼等夫妻の家とアトリエがもう1つ。それに広大な芝生の庭がある。ここでまことにのんびりとした豊かな時間を過ごさせてもらった。ここでの生活のハイライトは何といっても松茸狩りだろう。その話はこの次に。

キンヤとトンボと松茸と 2007.4.15
トンボといえばキンヤがVANに勤めていたころのあだ名で、彼がいつも特大のトンボ眼鏡をかけていたことからこのあだ名がついたわけなのだが、カナダでは彼は愛犬をトンボと呼んでいた。そのトンボは松茸探しの名人だった。10年ほど前キンヤはふとしたことから近所の赤松林の中で松茸が生えているのを見つけた。持ち帰って食べてみるとこれがまぎれもなく松茸だった。しかもこの松茸がそこら辺中に生えているのだ。すぐさまそのことを日本の彼の元のボス石津謙介VAN社長に伝えたら、旨いものには目がない石津御大はすぐさまカナダまで飛んできて、キンヤと一緒にこの松茸をたら腹食ったものだったとキンヤは懐かしそうにいう。そろそろその時期だといってある日キンヤはトンボと一緒に彼の秘密の松茸林に連れていってくれた。この頃は松茸が金になることを知った地元のカナダ人たちが、キンヤが俺の秘密の松茸林といってはばからない場所に踏み入ってきて荒し回ると彼は嘆く。イタリー人たちも松茸をとりに来るそうだが、彼等は多分イタリーの秋の珍味ポルチーニによく似ている松茸を自分たちで食うんだろうからこれは許せるとキンヤはいう。1時間ほどで100本以上の上質の松茸がとれた。カナダの松茸は色が白くて、香りは韓国や北朝鮮のものより良い。一晩でこの100本超の松茸を全部食っちまおうということになった。以下、次号。


松茸爆食ナイト 2007.4.18
最初の松茸狩りから1週間後に再びキンヤと松茸狩りに出かけた。今度は僕もコツをつかんだので1時間ぐらいで200本近い収穫があった。松茸はヒバの葉っぱで覆っていても2−3日しか保たないので早く食ってしまおうと100本ほど選んで分厚く切り、鉄板でシンプルにソテーしようということになった。キンヤのキッチン兼食堂にはどこかの「紅はな」(鉄板焼きのチェーン)が閉店するときにもらってきたという立派なプロ用の鉄板焼きテーブルがでんと鎮座していて、家族を周りに座らせキンヤは「紅はな」のシェフよろしくパフォーマンスをやる。松茸がジュージュー音を立てて火が通ったころバターを加え、これにすだち(ちゃんとスダチがあるのだ)をしぼって熱々の松茸をほおばる。旨いのなんのって。他には何も食べずにひたすら松茸を食らう。「もう今年は松茸はたくさん」と云いたくなる。残った100本近い松茸はキンヤがご自慢の佃煮になる。これは瓶につめておけば1年たっても十分食える。炊きたての熱いごはんにかけて食べるとこれまたまことに旨いのだ。寒さの厳しいカナダの冬が来る前の至福のひとときである。

島の風物詩=浜下り 2007.4.19
しばらく振りで島に帰ってきた。きのうの嵐が嘘のように今日は快晴。島の人たちが待ちかまえていた浜下りの日だ。浜下りは旧暦の3月3日に行われる島の代表的な行事の1つだ。この日は女の節句とされ、ヨモギモチを作って神前に供えて無病息災を願う。同時に「浜下り」をする日で老幼男女が潮干狩りに出たあと、海辺で祝宴を催すのが習わしとなっている。旧暦の3月3日は今年は4月19日の今日にあたる。この時期引き潮が1年のうちで最も大きく、普段は見えない磯がずっと沖まで顔をのぞかせるので、島人たちは歩いて沖の方まで行き、サザエやアワビ、たこなどを穫る。浜辺にピクニック用のマットをひいてみんなでその日の海からの獲物を食べる。新生児のあるうちはザルに入れた赤ん坊にわらじをはかせて海につけるという儀式をやるという。我が家の目の前の浜では新生児を連れた人は見かけなかったが、小さな子供達も親と一緒に海に入って貝や小魚を追っていた。この「浜下り」が実質的な海開きとなるのだ。普段よく行くレストラン「地中海」のオーナーシェフも海に入ってシャコ貝をいくつか穫ってきたので、明日はそれをご馳走してくれるという。これは楽しみだ。

ハワイ滞在記ーその1 2007.4.21
カナダに1ヶ月余り滞在したあとハワイへ寄った。寄ったというより滞在したといった方があたっているだろう。ハワイで生活してみたいとは以前から思っていたのだが、永住権をもっていなくても長期滞在する手はあるのだろうか、あるいは裏技といったものがあるのだろうか。そんなことを漠然と考えながらの取りあえずの滞在となった。観光目的で滞在できるのは3ヶ月(90日)と決められている。それが年2回まで、ということは長くても年に180日が限度となる。これも2ー3年つづけていると移民局に呼び出されていろいろ根掘り葉掘り聞かれるという。仕事さえしていなければ特に強制送還されたりはしないらしいが、ちょっと面倒くさいことになりそうだ。知人から紹介された幾人かのハワイ在住の人に会ってみたが、これといった裏技があるわけでもなさそうだった。1週間程度の滞在ならホテルでもいいが、3ヶ月となるとコンドミニアムでないと生活という感じがしないだろうと思い、先ずは家探しから始めた。新聞の広告に出ていた日本人名でのコンドミニアムを問い合わせたら、当方の条件には合わなかったのだが、ずい分親切な人でその人の知人で不動産の仕事をしている日本人女性を紹介してくれた。この人もまたとても親切なひとで親身になっていろいろ探してくれ、結局さらにその人の知人が所有する最新のコンドミニアムを借りることができた。これがじつに便利なロケーションにあって、アラモアナショッピングセンターに隣接する高層コンドなのだ。11階の自室の居間からの眺めがこの写真の通りで、手前にショッピングセンター、その向こうにアラモアナビーチパークと海が見える。3ヶ月滞在するには絶好の場所といえそうだ。以下次号。

ハワイ滞在記ーその2 2007.4.23
今回のホノルル滞在先は幸運にも絶好のロケーションに恵まれたと前回ブログでお伝えしたが、今後ビザなしで観光目的で滞在許可限度の3ヶ月間ハワイに滞在してみたいという方には、コンドミニアム滞在をお勧めしたい。理由の第一は何といっても経済的なことだ。ホテルなら安いところでも1泊100ドルぐらいはとられるし、それも狭いスタジオが精一杯だろう。コンドミニアムだと1ベッドルーム(居間プラス1寝室)でワイキキでも月1500ドル程度、2ベッドルームでも1800ー2000ドルぐらいだから、1泊あたり50ー60ドルぐらいにしかならない。しかも必ずキッチンがついているので自分の好きなものが作れる。豆腐や納豆などはどこのスーパーマーケットでも売っているし、レトルトでよければカレーやピザ、カレーうどんなどが日本から入ってきており、これがなかなか旨いのだ。今回は3ヶ月で5回ぐらいしかレストランには行かなかった。アラモアナ・ショッピングセンター内にある白木屋で買ってきた結構いける寿司をつまみに、ビールを飲みながら窓を通して水平線に沈んでいく夕陽を眺めるという至福の時間が、毎日のように持てるというのはどうです?ハワイでは11月から2月ごろまでは雨期だといわれているが、今年の冬は雨にはほとんど降られず毎日晴れっ放しという印象だった。だから毎日のようにこんな見事なサンセットが見られたわけだ。ラッキーだったのかな?

ウクレレを作った 2007.4.27
暇つぶしにハワイにいる間にウクレレを少し弾けるようになりたいと思い、ウクレレを買ったら無料でレッスンをしてくれるという店でハワイアン・コアを使った本物のウクレレを買った。本物というのはハワイの人がいうことで、他の木を使ったウクレレも結構いい音はするのだが。その店には可愛らしい日系の女の子の先生がいて、楽しく習っていたのだが、ふとしたことでウクレレ製作教室というのがあることを知って、そちらの方がもっと面白いのではないかと訪ねてみた。ワイキキから車でほんの5分くらいの住宅地に建つ築70年というよく使い込まれた家の1部を改造してウクレレのワークショップを作り、そこでウクレレ製作教室を開いている石丸琢さんという日本人に会った。観光シーズンになると5〜6人の観光客が生徒として入ってくるそうだが、幸いにも暇な時期のいまは生徒は僕1人だという。これはラッキーとばかりに早速入学した。コースは10日間でウクレレを1台作るというもの。初日からいきなり使ったこともない何やら怖い電動工具を使ってのウクレレ製作が始まった。時間が限られているのでそばに先生がつきっきりで手取り足とり教えてくれる。本来なら教室は午前中だけなのだが、僕が欲ばって本物のコアの木を使って普通のコンサートウクレレよりも一回り大きいテナーウクレレを作りたいと云ってしまったせいか、結構時間がかかり、先生の奥さんの手料理をご馳走になりながら午後も居座って、それでも予定どうりにはいかず、結局2週間かかってしまった。以下次号。

ウクレレを作ったーその2 2007.5.1
「ウクレレ作りはただひたすら研くことです」とは石丸先生の弁。普通なら午前中の作業を終わったら、ウクレレを持ち帰ってサンドペーパーで表面が滑らかになるまで時間をかけて研くという宿題をだされるらしいのだが、こいつあまり宿題はやりそうにないなと思われたのか宿題はなしですんだ。ホテルの部屋で粉だらけにならずにすんだのはありがたかった。そういった作業は午後まで残って工場でやらせてもらった。そのために石丸夫人には毎日のようにご迷惑をかけた。そばで何くれとなく世話をして下さる奥方が心のこもったお昼ごはんを用意してくれて、みんなで食卓を囲むという素晴らしい時間が毎日のように過ごせたのだ。生徒が1人だったという幸運がもたらした本当に楽しい2週間だった。石丸夫妻とはテニスもやった。ご両人とも以前はかなりよくテニスをされていたというだけあってなかなかの腕前だった。石丸氏は今はブギーボードにはまっていて、波のいい日にはよくワイキキに乗りにいくという。同居されていて石丸氏の助手を受け持っておられる美人の娘さんとお孫さん(とてもハンサムな小学生)に囲まれて、ハワイの快適な気候と素晴らしい環境のなかで好きな仕事をされている石丸氏の生活には誠に羨ましいものがある。このウクレレ製作学校に興味のある向きはhttp://www.moanakoa.comを覗かれるといい。写真で満足そうな石津の横におられるのが先生の石丸琢氏である。

ギリシャしている島 2007.5.10
約3ヶ月ぶりに島に帰ってきて、島の様子に変わったところがないかどうかと車で一周してみた。ドライブしながらあちらこちらと目をやっていると、あらためてこの島には白っぽい建物が多いことに気がつく。それもただ壁の色が白いということではなく、形がエキゾチックなのだ。どうエキゾチックかというと、モチーフが正にギリシャそのものなのである。何故ギリシャなのか?それは与論島がエーゲ海に浮かぶギリシャの島ミコノス島と姉妹島の関係にあることに由来する。青く澄んだ海に囲まれた真珠のような島ということではエーゲ海の島々と共通するところは多いかも知れないし、その中でも観光名所として世界中に知れわたっている、白い建物が印象的なミコノスが選ばれたとしても不思議ではないのだが、島に住んでいる人に聞いてみると誰一人としていつからなのか、何故なのかは分からないという。20年以上も前かららしいことは聞けたが、1つの推測としてはある大組織のリゾート会社が観光ブームに沸く与論島に真っ白なギリシャ風のリゾート施設を作ろうとしたときに、それを歓迎する町役場と協力してミコノス島に働きかけたのではあるまいか。その時代に町役場あげて島中をギリシャ・ムードに作りかえようと島人を説得して中心部の町並みを白く塗ったのだろう。そして島のいたるところにギリシャ風のモニュメントを作ったらしい。今でも役場段階ではミコノス島との交流は保っていると聞く。1度役場の観光課を訪ねてこの姉妹島関係の歴史を聞いてみよう。

珍客来る 2007.7.3
梅雨が2週間前に明けて連日かんかん照りの日が続いている与論島に珍客があった。我がボタンダウンクラブの強力な応援団の1人、夕陽評論家の油井昌由樹氏が来てくれた。JALグループのエアラインで鹿児島を拠点にしているJACが新しく発行する機内誌を油井氏が監修することになり、その取材のために与論にクルーをひき連れて来たのだ。わずか2日間の取材で忙しいスケジュールの合い間をぬって我が家にも寄ってくれた。ちょうどこの時期は大潮で潮の引き方が1年でも特に大きく、名所になっている百合が浜に真っ白な砂州が現れるというので、町の観光課の計らいで船を出してもらい、それに便乗してみた。遠浅の真っ青な海にグラスボートで乗り出すと、まるで船底をこすりそうな浅い海が沖あいまで続く。グラスボトムのボートはうまくできていて、頭をのぞかせている砂州に乗り上げて我々を下ろしてくれる。真っ青な海に囲まれた砂州から見返す与論島の景色はなかなかのものであった。どんな機内誌ができ上がるのか楽しみである。油井さん、また今度はもっとゆっくりしたスケジュールで遊びに来てね。次は名にしおう与論のダイビンクに挑戦しましょう。

すごい奴(台風)がやって来た 2007.7.27
2年半前の2004年秋に50年ぶりの大型台風が与論島にやって来て以来、全く1度も台風が来なかった。従って与論での島暮らしが始まってからというもの、僕は1度もかの有名な沖縄地区の台風というものを経験していない。そしてついに2年半ぶりに予期しないほどの大型台風が7月13日にやって来た。ところがまたしても島を留守にしていた僕はこの超大型台風には合わず終いだった。窓ガラスを波が運んで来た流木と岩の直撃で破られ、家の中が海水で洗われてしまった近隣の人たちは街へ避難したという。その隣人が送ってくれたのが上の写真で、何と驚いたことに我が家の1階の入り口の前に直径50センチ、長さ2メートル程の大木がでんと横たわっているではないか。このあたりまで波が1メートルぐらいの高さまで来たことを物語っているわけで、もしそこに僕がいたら相当なスリルを味わっていただろう。いや、スリルなんて云っちゃぁ避難せざるを得なかった隣人に申し訳ない気がする。幸い我が家は海面から6〜7メートルの崖の上に建っているので難を逃れたのだが、なるほど南の島の台風というのはすごいんだなぁと今さらながら思い知った。翌日には建設会社のブルドーザーが来て道路を埋め尽くした流木やがらくたと一緒にこの大木も片付けてくれたということだが、近いうちに島に帰って周囲の被害状況をチェックしなければならないだろう。しかし島の人たちはまたかといった表情で動じる様子もないという。そりゃそうだろう。何百年というものこんな台風に耐えてきているんだから。

これからが夏本番! 2007.9.4
ちょっと東京へ行っている間に3年振りにすごい台風がやってきた。被害状況は前回のブログにある通り、隣近所のひどい被害に比べて我が家は無傷で済んだわけで、この4号以来、5号から9号まではまたもや沖縄方面をはずれてくれたので、このところ島は平穏だ。1ヶ月以上経ったいま、台風にやられてそれこそ島中から全く消えてしまった花たちが少しづつ戻りはじめた。昨日今日は全くと云っていい程の無風状態で気温33度、暑い暑い。夏休みが終わって観光客の姿が少し減ったが、島はまだまだむしろこれからが夏本番で9月末までは真夏日が続く。今日久しぶりに目の前の海に入ってみた。波打ち際付近はお湯のような生温い海水で気持ちが悪いくらいだった。それでも沖へ泳ぐにしたがって少しづつ水は冷たくなっていき、150メートルくらい沖合いのドロップオフまで達すると大型魚の群れに遭遇、ちょっと興奮した。ウミガメに会えないかとしばらくそこに留まってみたのだが、この季節にはいないのかなぁ。ハワイではいつでも亀に会えるのだが。今度ウミガメが産卵に上がってきたら、なんとか孵化できる場所に移すことができないものか。誰かに相談してみなければ。(写真は我が家の庭から望む沖縄本島にかかる積乱雲)

ソロアスロン(?)大会開かる 2007.9.8
近所のホテルのプールで泳いでいたら、翌日大勢のマッチョな男女が集まってオープンウォーターの水泳大会が開かれると聞いた。マッチョな女が大好きな俺としてはこれは見逃す手はないと次の日つまり今日教えられたビーチへ行ってみた。なるほど真っ黒に日焼けした50人程の男女がすでにスタート位置についていた。関係者らしき人をつかまえて聞いてみると、これは「ヨロン・ラフウォーター・スイム」という大会で今年ですでに10回目だという。トライアスロンから水泳部分だけを取り出したようなもので、5キロ、3キロ、1.5キロと3キロリレーの4種目からなる。各地のトライスロンを渡り歩いている猛者も何人か参加しているらしく、そんな連中がゴールしてくると盛んな拍手が沸く。ビーチバレーの浅尾美和ほどの美女は見当たらなかったが、見事に焦げた肌を水着に包んで、青い海を水しぶきを上げて泳いで行く彼女たちの姿は見ていて気持ちがいい。あんなスイマーになってみたいものだ。この大会は鎌倉に本拠をおくパワースポーツという団体が主催していて、与論の他に奄美大島や小浜島などでも毎年開催しているという。興味のある向きはhttp://www.powersports.co.jpをのぞいてみるといい。

今年最後の訪問者? 2007.11.13
VANとWRANGLERで20年間一緒に仕事をしてきた竹間君がやってきた。最近仕事で度々沖縄にきているそうで、今回ちょっと足をのばして与論に来てくれたというわけだ。竹間君の一番の趣味は釣りだ。それもいまはやりのフライやルアーを使った渓流釣りが専門なのだが、たまには海に出てシイラなどの大物釣りもやるという。そこで島の釣りの名人、レストラン「地中海」の主の長谷川氏の釣り場にお邪魔してご指導願う事になった。ところが今日は朝から強風が吹き荒れ、海は波が高くて釣りにならない。仕方なく我が家の庭で日光浴ということになった。目の前のリーフに砕ける波を双眼鏡で見始めた竹間君はいつまでも飽きずに見続ける。ちょうどそこら辺で潮の流れが交錯しているのか、波が直角にぶつかって面白い砕け方をするらしい。それが面白くていつまでも見飽きないのだという。この海と砂浜しかない島にやってきた客人をどうもてなすかで毎回苦心するのだが、こうして何時間もじっと海を見て面白がる訪問者は楽でいい。明日は少し伸びてきた家の回りの雑草を刈る手伝いをしてもらおう。

新鋭機登場 2007.11.22
ここ与論には沖縄那覇と鹿児島から飛んでくることができる。那覇からは琉球エアコミューター,鹿児島からは日本エアコミューターという航空会社が路線をもっていて、両者共JALグループに属している。沖縄からのRACの便はこれまで39人乗りのカナダはボンバルディア社のDASH-100という可愛いプロペラ機が飛んでいたが、今月から便によっては新しく導入したらしいDASH-300という50人乗りの少し大きな飛行機が飛んでくるようになった。従来の小型機の方はブルーと黄色に塗りわけられたいかにもローカル便らしいデザインであったが、新しい機材の方はJALと同じ白塗りで、ロゴだけがRACになっている。このロゴもJALと同じ書体で赤いスラッシュが入っていて、いかにもJALグループだぞと云いたげだ。何だかつまらない。ボンバルディア機といえば、最近高知空港での車輪不具合による胴体着陸事故をはじめ、各地で車輪の不具合が相次いでおり、乗る度にこいつは大丈夫か?と不安な気持ちになる。所有機すべてがボンバルディア機の琉球エアさん、安全点検には十分気をつけてくださいよ。

ブログ当分休みます 2008.7.25
南の島暮らしを2年近くやって、島での遊びを一通りこなすと案の定ちょっと退屈し始めた。もともとここを終の住処と決めて移り住んだわけではなく、南の島暮らしの足がかりとしてとりあえず住んでみようという程度の気持ちだったので、ここらあたりでちょっと他所も探して見ようかという気になり始めた。しばらく島を離れて海外も含めてあちこち放浪して見ようと思う。
そんなわけで、当分島暮らしのブログを休むことにしました。
気が向いたら何処か他所で始めるかもしれません。
その時はどうぞよろしく。