油井昌由樹氏

「僕が石津先生とお付き合いさせていただくようになったきっかけは、1970年代に僕が全国学生服飾連盟というのを組織して活動を始めた時からだったと記憶してます。日本メンズファッション協会なんかに出入りして、協会の会長だった石津先生にもお会いできたし、VANにも何度もお邪魔してスポンサーになっていただいたりしたもんです。その後、僕が西麻布にアウトドア・ショップの「スポーツトレイン」を開いた時も、先生はしょっ中顔を見せて下さって、「君のやっていることは時代の先端をいくいいことなんだ」とおっしゃっていただいて、嬉しかったのをよく憶えています。」
式場壮吉氏(元レーシング・ドライバー)

「僕が1963年にスズカの第1回日本グランプリレースに出場した頃は、日本にはまだレーシング・スーツなるものがなくて、当時同じカーレース仲間だった石津祐介君に頼んでVANでレーシング・スーツを作ってもらったものです。だから当時の我々ドライバー仲間(生沢徹とかミッキーとか)はみんな胸にVANのワッペンを付けていました。これがカッコよくてね、みんなから羨ましがられたもんです。」
徳大寺有恒氏(自動車評論家)

「僕も当時はみんなと一緒の車仲間だったんだけど、あの頃は車が今よりももっとファッションだったなぁ。赤坂にあったシャンゼリゼというカフェがいい車もってる奴等のたまり場で、店の前にこれ見よがしに車留めて自慢し合ったもんだよ。今はあんな場所がないもんな。」
日野皓正氏(ジャズ・ミュージシャン)

「もうずい分昔の話になるけど、僕が白木秀雄さんのバンドにいた時、みんなでバンドのユニホームを作ろうという話になって、洋服屋さん呼んであれやこれやスタイルなんかについて考えてる時に、僕はアイビーが好きだったから、1人だけ衿がどうの、ポケットはパッチでなきゃダメとか、靴はリーガルのトラッド・モデルじゃなきゃねとかやってました。VANのものずい分買ったな、あの頃は。」
マイク真木氏

「ミッキーほどじゃないけど、僕もVANの倉庫に入っちゃダンボールにいくつものシャツやパンツなんか持ち出してたなぁ。だって、石津社長がいくらでも持ってっていいって云うんだからさ。僕はあの頃モダンフォーク・カルテットという4人組のバンドやってて、ユニフォームはいつもVANと決めてたんですよ。行くと必ず何か新しい物もらって帰った憶えがありますよ。いやぁ、有難かったねぇ。」
馬場啓一氏

「僕が社会人になろうとする頃はアイビー族は大体広告業界に行くと決まってたみたいなところがあって、それで僕も広告代理店に入って、VANのくろすとしゆきさんなんかをテレビCMに引っ張りだそうなんてこともしてました。後に自分でものを書くようになって、石川次郎さんや木滑さんがお出しになった雑誌ポパイの「VANが先生だった」という特集に刺激されて「VANグラフィティ」という本を出したのです。楽しい仕事でした。」
大橋 歩さん

「こうして久し振りに石津先生にお会いできるなんて嬉しいですね。お元気そうで何よりです。私はアイビールックが大好きで、本当は私が着たかったんですが、女なのでなかなか合うものが無くて、仕方なく絵にしてみたんです。それがちょうど当時若者向けに発行されようとしていた雑誌「平凡パンチ」の編集の方々の目にとまり、表紙に採用されたのです。でも、私がアイビールックのつもりで描くイラストのディテールが違ってると当時はずい分直されたものでした。くろすさん、厳しかったんですよ。」(笑)