2002年6月に東京・青山で開かれたボタンダウンクラブ旗揚げパーティを受けて「第2回ボタンダウンクラブの会」は関西支部の発足を記念して10月26日(土)神戸ファション美術館で開催中の「にっぽんの青春時代展」の会場内でトークショーを行い、続いて隣のプラザホテル神戸に会場を移してパーティを開いた。
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第1部 トークショー「日本の青春時代」
第1部のトークショーはボタンダウンクラブ賛助会員でクラブ応援団長のテリー伊藤氏が司会を兼ねて、VANグッズのコレクターとしてもよく知られている北原照久氏と石津祥介ボタンダウンクラブ会長との3人で60〜70年代に最もホットだったVANの残した数々のアイビー・ファッションやその周辺文化などを中心に、にっぽんの青春時代について熱く語った。 |
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青春時代を東京の築地で過ごしたテリー伊藤氏は熱烈なアイビーのファンで、60年代から70年代初めにかけて銀座はみゆき通りをアイビースタイルに身をかためて闊歩した「みゆき族」のリーダー格だったとのこと。
その伊藤氏曰く。「いやぁ、あの頃はVANのものが欲しくて欲しくて。でも高かったからなかなか買えないの。ダッフルコートなんか手に入れた時は嬉しかったなぁ。それとランチコートとかスパニッシュコートなんてのもあったと思うんだけど、とにかくいろんな名前の服があったよね。あれ、VANがつけた名前が多かったと聞いてるんだけど、その辺どうだったんですか祥介さん?」
石津祥介:「えぇ、社長の石津謙介オヤジがなかなかのコピーライターでね。トレーナーにはじまって、Tシャツ、ランチコート、スパニッシュコート、ニューポートジャケット、スイングトップ等相当な數になるでしょうね。」
テリー伊藤:「このランチコート、そこに展示してあったものをちょっと拝借してきたんだけど、昔のものは生地が分厚くてしっかりしてたんだね。裏に張ってあるムートンのボアなんか最高にいいものだね。これ欲しくて欲しくてたまんなかったんだけど、高くて買えなかったんだよなぁ。思い出すねぇ、あの頃のこと。ところで、今この会場でやってる<にっぽんの青春時代展>だけど、よく集めたもんだねぇ。北原さんのコレクションから借りたの?」 |
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北原:「僕のコレクションからもお貸ししましたが、今テリーさんが手に持ってる昔のVANの服はみんな名古屋の中村さんのコレクションなんですよ。彼はなんと昔VANの宣伝部で使っていたワーゲンのマイクロバスまでそっくりに復元して使っているそうですよ。」
テリー伊藤:「あぁ、あそこにあったあのバスね。あれも凄いけど、ほかにもいろんなノベルティ・グッズが出てたね。あのカーペンター・キットっていうんだっけ。あれ今じゃすごい値打ちもんなんだって?」
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北原:「えぇ、売りに出したら100万円はかたいでしょうね。10年ぐらい前のアイビー展の時でもそのくらいで売れましたから。」
テリー伊藤:「石津さん、なんであんなに沢山のノベルティグッズを次々に出していったんですか?只で上げてたんでしょう?」
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石津祥介:「あの頃はVANの社員はみんな楽しんで仕事やってたから。特に宣伝部の連中ときたら何かああいうノベルティを考えるのが楽しくて楽しくてしょうがない奴ばかりだったからね。でも、あれはお得意様には原価で買ってもらってたから、そんなに損はしてないんですよ。カーペンター・キットはクイズの賞だったんですが、10万通もの応募があって、ちょっと慌てましたね。」
テリ−伊藤:「へぇー、みんな楽しんでたんだ。VANは学校だったなんていう人もいっぱいいるからね。雑誌ポパイが<VANが先生だった>っていう特集やったときなんか一番に買って読んだもんな。あの頃は暇があるとVANショップに行って遊んでたもんだよ。この展示会場の中にもVANショップが復元されてるけど、あんなにコレクションしてる人がいるんだ。驚いたね。」 |
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第2部 ボタンダウンクラブ・パーティー
「にっぽんの青春時代展」内でのトークショーが終ると、会場を隣のホテルプラザ神戸に移して、第2部のパーティが始まった。先ず石津祥介ボタンダウンクラブ会長の挨拶に始まり、ボタンダウンクラブ応援団長のテリー伊藤氏の音頭で全員で乾杯。この日は関西圏のクラブ会員50名が集り、関西初のボタンダウンクラブの会を楽しんだ。名古屋からも新調した真紅のクラブ・ユニフォームのブレザーに身を固めた5人の侍が参加。会場の雰囲気を盛り上げた。 |