(最終回)
アメリカ一周旅行中のこぼれ話(その1)
ナッシュビルで夢のような一夜
日本製軽自動車によるアメリカ一周旅行の大儀明文はアメリカ各地のカトリック(イエズス会系)の大学を親善訪問すること、東部のアイビーリーグ大学を訪問してキャンパス・ファッションのリサーチをすることの2つが主たるものであったが、我々にとって3番目に大事だったのがナッシュビルでグランドオールオープリーを聴き、出演アーティストたちにインタビューすることであった。(Peport No.4に一部既報)
インタビューの目的は1960年代当時ラジオ関東という放送局が関東一円をサービスエリアとして、他局とはひと味ちがった特色のある内容の番組を放送していて、この局からもしナッシュビルでカントリーミュージックのスター達のインタビューがとれたら、それを放送に使ってやろうというお墨付きをもらっていたのである。チームリーダーの石津と長谷川はジャーナリスト志望の新聞学科生だったのだが、英語でのインタビューの経験など勿論ない。放送局用のデンスケと呼ばれたポータブルレコーダーなどとても重くて持って行けるはずもなく、アメリカ製のWEBCORとかいう極く小型の軽いポータブルレコーダーを手に入れて、この日のために持って行ったのである。
アメリカ東海岸まで達した我々は再び車を西に向けて帰路につき、途中待望のナッシュビルでグランドオールオープリーが開かれているライマン公会堂の楽屋にまんまと潜り込んだ。当時のカントリーファンなら夢に見たスーパースター達が忙しく行き来するステージ脇や楽屋裏で手当りしだいに彼等を捕まえてはインタビューを申し込んだ。その時のテープはラジオ関東に送り、1度放送されたあとは行方がわからないままになっている。以下に35年前のおぼろげな記憶を頼りにインタビューの模様を再現してみた。
マーティ・ロビンスはオシャレだった
石津(以下I)/マーティ・ロビンスさん、ちょっとお時間を拝借できますか?マーティ・ロビンス(以下M)/いいとも、マーティと呼んでくれ。
I/ありがとうマーティ。あなたはカントリーソングにとどまらず、「ホワイトスポーツコート」などのポップスも積極的に唄ってますね。
M/そう、僕はジャンルはあまり意識しないで何でも唄いたいんだよ。
I/じゃぁ、これからももっとジャンルが広がる?
M/うん、ハワイアンなんかも唄うつもりさ。
I/ウヒャー、それは楽しみだなぁ。(事実この数年先に彼が出したハワイアンソングのアルバムは大ヒットした。私石津はその中のアロハオエが大好きだった。)ところで、今日このステージに出ているスーパースター達の着ているものを見ると、あなたを含めてウエスタンウエアの人が少なくて、皆さん現代的なスタイルがお好きなようですね。
MARTY ROBBINS 石津祐介
M/そう云えばそうだね。カントリーミュージックの幅が広がるにつれてミュージシャンの格好も変化し   てきていると云えるかも知れないね。
I/あなたが今締めているこのネクタイなんかいま一番トレンディな極細タイじゃないですか。
M/そう、いまはこのスタイルがとても気に入ってるんだ。それはそうと君たちも学生にしてはずい分といいもの着てるじゃないか。
I/はぁ、実は僕たちチームのメインスポンサーが日本の若者ファッションをリードしているアパレル・メーカーなんですよ。我々みんなその会社から提供されたものを着てるというわけなのです。
M/へぇー、そりゃ羨ましいね。道理でいいもの着てるわけだ。
I/どうも忙しい中お時間とらせてしまって。ところでマーティ、大勢のファンが待ってるんだから日本にも是非来て唄ってください。
M/喜んで。きっと行くよ。僕も楽しみにしているよ。
MARTY ROBBINS DISCOGRAPHY
ナッシュビルでインンタビューした時彼が云っていたようにハワイアンのアルバムもリリースされている。
The Song Of Robbins Hawaii's Callin Me
Marty's Greatest Hits El Paso
ジョージ・モーガンはソフトな紳士だった
長谷川(以下H)/ジョージ・モーガンさん、ちょっとインタビューさせてください。あなたの「CANDY KISSES」は日本でもよく知られていて、大勢のカントリーシンガーが唄ってるのご存知ですか?
ジョージ・モーガン(以下J)/そうらしいね。日本にもカントリーミュージックのファンが沢山いると聞いていて、とても嬉しいよ。
H/各大学にもカントリーのクラブがあって、毎年大学対抗のジャンボリーなんかが開かれているんですよ。
J/へぇー、そりゃ驚きだね。こちらの大学ではキングストン・トリオのようなフォークソングは盛んに唄われているようだけど、カントリーのバンドがあるとはあまり聞かないなぁ。そんなに多いのかい?
長谷川元 GEORGE MORGAN
H/日本の学生の方がマニアックな連中が多いのかも知れませんね。ところであそこにいるマーティ・ロビンスさんもそうなんですが、あなたもウエスタンスタイルではなくコンテンポラリーなスタルをされていますね。ダークマドラスのとても感じのいいジャケットを着られていますが、最近はあまりウエスタンスタイルはされないのですか?
J/いやぁ、君たちなかなかファッションにうるさそうだね。そう、僕の歌はカントリーだけではなく、ポップスっぽいものもどんどん取り入れているから、ギンギンのウエスタンスタイルはあまり着なくな
ったね。何だかこの方が落ち着くのさ。
(このインタビュー後20年以上を経て、ジョージ・モーガンの娘で超美人のローリー・モーガンがデビ
ューし、カントリーポップスのシンガーとしての確固たる基盤を基いたのである。)
GEORGE MORGAN DISCOGRAPHY
The Late Great ... Candy Kisses Room Full Of Roses
Candy Kisses... Hall Of Fame 1998
LORRIE MORGAN DISCOGRAPHY
GEORGE & LORRIE MORGAN
ジョージとローリー父娘のデュエット盤も発売されている。今や娘の方がビッグネームとなっているようだ。
Side By Side Something in Red
The Color of Roses Greater Need
大御所ジム・リーブスに緊張!
長谷川(以下H)/ジム・リーブスさん、少し時間頂けますか?ジム・リーブス(以下J)/いいとも。君たち誰?
H/我々は日本から来た大学生で、いま日本製のミニカーでアメリカ一周旅行中なのですが、みんなカントリーミュージックが大好きで、実は日本のラジオ局から頼まれてグランドオールオープリーのスターの皆さんにこうしてインタビューしてるわけです。日本にもアメリカン・カントリーのファンが沢山いることご存知ですか?
J/うん、よく知ってるよ。僕のレコードも日本でかなり売ってもらってるしね。
石津祐介
JIM REEVES  長谷川元
石津(以下I)/Four WallsとかHe'll Have To Goとかこちらでスマッシュヒットしたあなたの曲は日本のカントリーのジャンボリーなんかではよく唄われてますよ。
J/へぇ、そりゃ嬉しいね。日本でもカントリーミュージックのコンサートなんかが盛んなのかい?
I/えぇ、プロのカントリーバンドの他に大学にもアマチュアのバンドがあって、学生ばかりのカントリーやフォークの大会がしょっ中開かれてます。ところでジム・リーブスさんはヴェルヴェット・ヴォイスと呼ばれているようですが、カントリー以外のジャンルの歌も唄われているんですか?
J/そう、一応カントリーが主体ではあるけど、音楽なら何でも好きさ。古いアメリカの歌やポップスなんかも何でもござれさ。
I/Dear Heart And Gentle Peopleというタイトルのレコードアルバムを出しておられるようですが、僕はこの歌を唄ってるダイナ・ショアのアルバムを持っています。
J/うん、これはアメリカ人なら誰でも知ってる懐かしい歌ばかりを集めたアルバムでね。他にもいろんな歌手が唄ってるよ。
H/今日のステージではこの真っ赤なタキシードが素晴らしく映えてましたが、最近はあまりウエスタンウエアは着ないのですか?
J/今日のステージ見てても分かるだろうけど、このところカントリーのコンサートだからといって必ずしもウエスタンウエアばかりではないようだね。別に申し合わせているわけじゃないんだけどね。
H/次のステージが迫ってるようですので、このくらいで引き下がります。どうもありがとうございました。
JIM REEVES DISCOGRAPHY
Just Call Me Lonesome
The Velvet Voice Whispering Hope Live At The Opry Four Walls
新進のデュオ、ウィルバーン・ブラザース
長谷川(以下H)/今日は。お二人よく似てますね。どちらがどちらですか?
ドイル(以下D)/僕がドイルで、これが1つ下の弟テディ(以下T)だよ。よろしくね。
H/あなた方はまだ学生のように若く見えますが、もうキャリアが相当長く、いまこのオープリーでも大変な人気と聞いています。さすが兄弟だけあってハーモニーが素晴らしいですね。着ているものも学生のキャンパスウエアみたいだし。
D/うん、僕らいつもこんな格好してステージに上がるんだよ。いつまでも若い気分でいたいしね。
T/そう、気持ちは君等と同世代だぜ。君等まだ学生なのにこんなに遠いところまでカントリーミュージック聞きに来るなんてすごいね。しかも日本から車もって来たって聞いたけど、またそれはどういうわけなんだい?
H/車といってもホルクスワーゲンの半分くらいのミニカーで、わずか16馬力しかない車なんです。これでアメリカを一周できたらいいな、という冒険旅行なんですよ。
TEDDY WILBURN DOYLE WILBURN
DOYLE(右)
長谷川元(中央)
石津祐介(左)
D/それはすごいな。後でその車見せてよ。そうだ、このナッシュビルの真ん中に僕達のレコーディングスタジオがあるから、後でその車で見に来ない?いまレコーディング中の新しい曲聞かせるからさ。
H/それは素晴らしい。ぜひお邪魔させて下さい。ところで、これからの仕事の計画など聞かせてもらえますか?
T/おと年(1959年)兄貴と一緒にタレントのマネージメントや音楽出版などをする会社をこのナッシュビルにつくったんだよ。今はその仕事も順調でとても忙しいんだ。その合間にレコーディングしてるってわけさ。
WILBURN BROTHERS DISCOGRAPHY
*この日のグランドオールオープリーが終わってから、我々はウィルバーン・ブラザースが約束してくれた通り、彼等の車についてナッシュビル市内の彼等のスタジオを訪問。新しく吹き込んだテスト・テープを聞かせてもらった。印象に残った曲は確かIt's Been A Blue, Blue Dayというようなタイトルではなか
ったかと記憶している。
この後、ウィルバーン・ブラザースは多くのレコーディングのかたわら、マネージメントの仕事も発展し、ロレッタ・リンと組んで数多くの仕事で大成功をおさめている。残念ながらドイルは若くしてこの世を去り(52才)弟のテディも一昨年71才で亡くなった。
The Wilburn Brothers
Big Heartbreak
Blessings
Let's Go Country
ナッシュビルの主アーネスト・タブにも会えた
アメリカのカントリーミュージックを語るとき、伝説的人物として絶対に見落とすことができないのがアーネスト・タブだ。1930年代にカントリー・ミュージック界に登場したアーネスト・タブは、既にカントリー界で最大のスターとなっていたジミー・ロジャースに憧れ、尊敬していたと伝えられている。30年代の終わりには既にカントリー界を代表する歌手の仲間入りを果たし、ジミー・ロジャース、ロイ・エイカフ、ビル・モンロー、そしアメリカ・カントリー界の過去最大のスターといわれたかのハンク・ウイリアムスなどと並び賞されるようになった。1947年にナッシュビルにレコード・ショップをオープンし、店内で「ミッドナイト・ジャンボリー」と題したコンサートを毎週開いて、地元のWSM(オープリーを主催する放送局)からそれを流すというアイデアで大成功を収めた。カントリー・ミュージックのレコードレーベルとしては代表格のDECCAレコードに35年間所属し、数々のヒット曲を世に送りだした。1984年に惜しくも亡くなっている。
EARNEST TUBB
長谷川(以下H)/アーネスト・タブさん、我々4人のチームは日本の学生ですが全員アメリカのカントリー・ミュージックの大ファンで、日本の放送局のためにグランドオールオープリーのスターにインタビューをしているところです。ちょっとお時間いただけますか?
アーネスト・タブ(以下A)
/へぇ、日本からわざわざ来たの?ずい分熱心だね。みんな金持ちなの?
H/実はいろんなスポンサーに協力してもらって日本のミニカーでアメリカ一周旅行をしているところです。その途中であこがれのナッシュビルにやって来たというわけです。
A/そりゃまた羨ましい話だな。楽しくやってるかい?ところで何を聞きたいんだい?
H/あなたはアメリカのカントリー・ミュージック界を代表する歌手であり、ナッシュビルの主といわれて久しいわけですが、ここナッシュビルに大きなレコードショップをお持ちとか。
A/そう、もう15年近くになるかな、オープンしてから。ずっと以前から店内で「ミッドナイト・ジャンボリー」という催しをやっていて、地元のWSM局がそれを流してくれているんだよ。お蔭で店は大繁昌さ。このオープリーが終わるとステージに出ていた歌手達が大勢来てくれて唄ってくれるんだよ。彼等もプロモーションになるし、店はそれ目当ての客で賑わうし、両方にとっていいことずくめさ。そうだ今日のオープリーが終わったら君たち俺の店に来ないか?このステージでは聴けなかった曲も沢山聴けるぜ。場所は誰に聞いてもすぐ分かると思うよ。
H/それは素晴らしい、是非お邪魔させて下さい。ステージ終わったらすぐウィルバーン・ブラザースのスタジオを見せてもらうことになっていますので、その後駆けつけます。楽しみにしてます。
というわけで、我々は1961年10月10日のライマン公会堂でのグランドオールオープリーを堪能した後、ウィルバーン・ブラザースのスタジオを訪問し、さらにアーネスト・タブのレコードショップを訪ねた。ナッシュビルの目抜き通りに面したその大きなレコードショップの店内にはちょっとしたステージが設けられていて、さっきまでオープリーのステージで唄っていた歌手達が次々に登場してお得意の歌を披露していく。さすがにマーティ・ロビンスやジム・リーブスといった大物は現れなかったが、我々がインタビュー仕損なったもう1人の大物、ホークショー・ホーキンスがど派手なウエスタンウエアのまま現れて、店いっぱいの客達にせがまれて1曲聞かせてくれた。超ラッキーというべきだろう。しかしこれから程なくして彼ホークショー・ホキンスはジム.リーブス同様、ツアー中の飛行機事故で帰らぬ人となってしまうのである。
EARNEST TUBB DISCOGRAPHY
Let's Say Goodbye Soldier's Last Letter
The Living Legend 20th Century Masters Retrospective
かくして我々の夢のナッシュビル、そして憧れのグランドオールオープリー訪問は幕を閉じた。深夜になってようやくホテルに引き返した我々は興奮冷めやらず、なかなか寝つけない。結局朝まであれやこれやとオープリーでのインタビュー中のエピソードを思い出したり、ウィルバーン・ブラザースの新曲について語ったりして一睡もできなかった。またいつかこのグランドオールオープリーに来れるのだろうか?その時までこのライマン公会堂はそのままあるのだろうか?そんなことを考えながらつぎの日、後ろ髪を引かれる思いでナッシュビルを後にしたのである。